修士で大手製薬会社の研究職希望というのは無謀な理由

修士号をとって大手製薬会社に研究職として入りたい、そこでずっと創薬の研究がしたい人って山ほどいます。そのほんの一部でしょうが、私のところにもそういう方の相談がしょっちゅう来ます。この際だからもうはっきり言っちゃいましょう。他の業種の研究職は修士歓迎だと思いますが製薬業界は特殊です。また、製薬であっても開発 (できあがった薬をどのように臨床試験をして有効性を患者さんで評価するか等を考える部署) や生産 (その薬をどのように大規模に安く作るか等を考える部署) の領域は修士歓迎ですがみなさんがイメージする創薬の研究は特殊です。特殊な「製薬」の特殊な「創薬研究」、特殊と特殊の組み合わせをやりたい方は特に高度な専門性が求められます。業界をほぼ知らないみなさんでも名前を知っているような、CMとかもやっているような製薬企業はいずれも大手です。大手製薬会社の研究部門は非常に高倍率です。何か光るものがあるなら別ですが、「ただの修士卒」が大手製薬企業の研究職に採用される可能性は限りなく0です。私は大手製薬会社、それも複数の会社の研究職の方々を何人も知っていますし夜の懇親会や研究指導等で表には出せないいろいろな話を聞いています。修士卒で大手製薬会社の研究職として入社し、ずっと研究に携わっていたいというのはかなり難しいですよというのが現状ですから御縁あってこのページを見てくださっている方にだけシェアします。

ご承知のように、一つの薬が承認されて市場に出回るまでに10年以上かかることがほとんどです。毎年多くの研究職を抱えていては成果が出るまでの人件費が多くなってしまいます。そのため、製薬会社の研究職は少数精鋭で募集人数をあえて少なくしています。その枠を、薬学部だけでなく生物学系や化学系を専攻しているたくさんの修士課程大学院生たちが狙っています。

ところで、特に大手の製薬企業は博士の採用に非常に積極的なのは知っていますか? ほぼ全ての企業が、修士とは別枠・別日程で採用選考を実施しており、多い企業では博士が半数以上を占めます。受ける人数は修士のほうが圧倒的に多いにもかかわらず、採用は博士の方が多い。そんな環境が定着しつつあります。例えばAI創薬や中分子創薬に力を入れている中外製薬さんは通年で博士人材を採用していますよね (こちら)。大手製薬会社である大日本住友製薬の採用担当社もこちらの記事の中で「博士採用を優先し、次に修士という順番になっています。」「専門性の内容が企業の研究領域とマッチするかどうかは、それほど意識していません。研究内容のマッチ度よりも、その分野で高く専門性を磨いてきた方、考え抜ける力を持っている方を求めています。」とのことですね。修士よりも博士の方がずっと内定をもらいやすいというのは非常に大きなポイントです。製薬会社の研究者の方が書いた博士で製薬企業研究職を目指すメリット4つもご覧ください。創薬研究は非常にコストも時間もかかりますし、社運をかけて行うわけです。修士卒のような半人前の人よりもより専門的な博士号取得者がほしいというのは理解に難くないです。

修士1年のどこかで製薬会社への就活を始める前までに、研究成果を筆頭著者として査読付き学術雑誌に発表したとか、英語がセミネイティブレベルとか、製薬企業によく思ってもらえる何か「光るもの」、つまり実績がない限り、修士の学生で大手製薬会社の研究職にというのは非常に難しいのはご理解ください。東大京大で修士をとっても製薬の研究職採用という意味ではほとんどの方が「お祈り」されるだけでしょう。これは残念ながら事実です。製薬企業の研究職に内定するために ~私の内定戦略①・博士課程進学~とかも製薬業界特有の事情が垣間見れます。

あと、これは製薬に限らないことですが日本経済は停滞していますし今後は人口減に伴って衰退していくと考えられていますよね。製薬においても昨今業界全体が非常に揺れており、大手各社で大量リストラが断行されています。裏話は書けませんが、例えばこちらの記事こちらの記事などでも様子を垣間見ることができます。今は営業職がリストラの中心ですが、このような背景がある中で研究職をたくさん採用することはできませんし、今後は「専門性の乏しい研究職」もリストラの対象になっていくでしょう。そのような時流がある中で博士号を持っていれば「専門性の乏しい研究職」とはみなされないでしょうし、最悪の場合でも、博士号は他の人達と大いに差別化できる武器となるのです。製薬会社で研究職を目指す方には、最強の資格ともいえるPhDを専門性を高める & 自分を守るためにも取ったらどうかと強くオススメするのはこのような事情があります。

昔とこんなに変わった製薬企業の実態

昔は、修士を出て製薬企業の研究職に就き、働きながら博士の学位を取得して昇進したり、化合物のステージアップと一緒に臨床開発に異動したりするパターンがお決まりコースでしたが、今はもう時代が変わってしまいました。研究者として生きていきたいなら、「自分を守る」ために博士の学位を得て、できれば海外での経験を積んでおくことを強くお薦めします。

  1. 博士学位がなくても (光るものがあれば) 修士卒で研究職に就職はできます。しかし将来、博士学位がないと研究者のリーダー (主任研究員など) にはなれません。つまり、研究職で昇進できる可能性は皆無です。いやもっと正確にいうと、一生ヒラ研究員でいることすら非常に困難です。博士号取得者と異なり、修士卒の場合はむしろ多様な働き方を企業側は求めています。3年程度おきにジョブローテーションのような制度があり、研究から開発、生産、あるいは技術営業等々を転々とするのが修士卒です。一方で博士号取得者にはジョブローテーションはほとんどなく、企業は研究を専門にさせるわけです。企業の研究者の方による修士で製薬会社研究職への内定を狙う学生が今後考えるべきこと5つにも同じことが書かれています (こちらの方は修士課程の間に筆頭著者として複数の学術論文を査読つき国際誌に発表している、「光るもの」がある方です)。ということで、修士卒で製薬の研究職に入った場合、研究リーダーになるどころか「一生ヒラ研究員」ということすらできません。もしずっと研究をしていたいのなら博士号をとってから製薬企業にいくべきです。
  2. 製薬は海外展開も普通に行っています。海外に共同研究や留学で出る場合、外国においては博士学位なしでは一人前の研究者とは見なしてもらえません。これは博士号の価値の記事にも書きました。
  3. もし将来、研究職を離れて開発職などに転じようとした場合、医師、大学教員、外国人からは博士学位がないとリーダーとして認識してもらえません。
  4. 博士学位をとるための集中的な研究をするには、若いうちのほうが好ましい条件(家庭をもつ前であれば配偶者や子供、あるいは両親の扶助を気にしなくて大丈夫、自分の体力や暗記力、同年代の友人の支えなど)が整っています。就職してある程度年数がたってからだと、博士号を取るために休日や家族との時間を返上して大学院博士課程へということになりますし、そもそも博士号を取るのを会社が許可してくれるかは未知数で体力的にはかなり大変だということです。私の大学院時代にも修士で入った製薬の研究職を退職して博士課程に来た方がいましたが、退職した理由はそのようなことをおっしゃっていました。
  5. 昔はいちど社会に出てしまってからでも「論文博士」がとれたのですが、近頃はこれまでと異なり大学、企業それぞれの事情からかなり縮小しています。

大手製薬会社の研究職になりたい方は、それはとても特殊な業界であることを正しく認知し、学生時代は猛烈に自己投資をして専門性を高め研究で成果を出す以外にありません。博士号取得は短期的には一見遠回りのように見えるかもしれませんが、人生100年時代においてその後数十年のキャリアを考えた場合、最初から博士号をとる方がずっと自己実現が近づきますよというお話でした。