博士号をとろうかどうしようか迷っている方も少なくないでしょう。インターネットでちょっと調べてみると、博士号をとると人生終了とでもとれるような、ネガティブな記事も散見されます。それでもこのページを見ているということは博士号について今迷っているということなのでしょう。迷っているというのはどちらの選択肢も魅力的な側面が同じくらいあるからですよね (どちらかが勝っているなら迷う必要ありません)。同じくらい魅力的な選択肢があるときには最も困難な道を行け、これは私がHarvard Medical School最後の日にボスのProf. Pamela Silver (Pam) からもらった言葉ですが、同じメッセージをみなさんにも伝えます。つまり、(修士での就職や、医療現場での勤務を続けるのと) 迷うくらい博士課程にも魅力を感じているなら思い切って博士号をとることを進めます。正直なところ博士号にはメリットしかないので、数年の時間と費用をかけても十分にペイできます。

自信を持って社会で生きていける人なら、修士だろうが博士だろうが必要ありません。自らの才覚だけで十分やっていけます。武部貴則 先生は学部卒で大学院での学位を持たないまま研究を続け31才で医学部の教授になりました (こちら)。名の知られた会社を創業した経営者の中にも高卒の方は少なくないですし、将棋史上初の快挙となる絶対王者を成し遂げた藤井聡太棋士は中卒です。修士や博士がなくても天賦の才を武器に大活躍されている方はたくさんいます。むしろそういう才覚がないことを自覚している普通の学生こそ、他の人たちよりも長く教育・指導を受けてください。大学院は人生で教育を受けられる最後の場所で、教育は自己実現の可能性を飛躍的に高めることができる最もコスパの良い投資です。社会に出たら教育は受けられないと思った方が良いでしょう。色々と教えてくれる先輩はいるかもしれませんが、それは当人の底力を上げることを目指す教育ではなく、その部署で仕事ができるようになるための限定された能力をつけるためだけのもので、そのような能力は他の部門や他の会社に異動したらさほど役に立ちません (その意味でも、大学院こそ研究だけでなくしっかりとした教育もなされているところを選んでください)。

私達のところには製薬企業の研究職やデータ解析部門に就職したい人たちも多くやってきます。アカデミアの研究者はもちろんですが、例えば製薬業界でも (管理職の一番下である) 課長職以上に出世したかったらほぼ博士号は必須です。研究職を目指すならなくてはならない学位です。ずっと研究に携われるなら別に出世しなくていいと言う考えの人もいるかと思いますが、出世しなければ研究職以外に配置転換になるだけです。なんせあとから最新の知識や技術を持った、みなさんより若い博士がたくさん入ってきますから。もし何か心当たりがある方は、(普通の人にとって) 修士で大手製薬会社の研究職希望というのはオススメしない理由を読んでください。データに基づくリアルな現場をお伝えしています。人生変わること間違いなしです。

それと関連して、昨今非常に注目を集めている「データサイエンティスト」ですが修士をとってデータ解析部門への就職というのはもったいない、もっというと普通の人にとって修士でデータサイエンティストをオススメできない理由もこっそりお伝えしておきます。このページのパスワードはdata-scientistです。

欧米だけでなくアジア諸国でも,博士号はある程度以上の社会的地位につくための必須条件となっています。せっかくここまで来たのに、修士で就職したらもったいない。今の修士課程は大衆化してしまっているので、本当の高度教育が博士課程です。ここは単に技術を磨くだけではなく,独創性,企画力,指導力など,社会のハイクラスで必要となる人間性を総合的に勉強します。これらは社会に出て自然と勉強できると考えがちですが,それは幸運なケースです。就職すると,誰もが給与の見返りに労働しなければなりません。特に近年の企業は余裕がなく,社員をじっくり育てず,すぐに使うようになりました。使い捨てにならないためには,結局,自ら勉強する必要があります。博士課程は,その重要な選択肢となるものです。

修士課程のゴールは、教員や先輩から与えられたテーマを遂行する中で、そのプロジェクトに必要な専門知識や研究の遂行に必要なスキルを身につけ、また修論を通して文章作成能力を習得することでしょう。

一方、博士課程ではテーマを立ち上げ、仮説を証明するための研究計画を練り、実行するという研究のPDCAを1人で回さなければいけません。さらに、自分の成果を学会や論文を通して世の中に伝えたり、研究資金を調達してきたり、後輩の指導をしたり…
と多角的な能力を磨く必要があります。研究者として生きていくための総合力を身に付けるのが博士課程です。

ですので、研究に全く興味がないのであればそもそも博士号をとる必要はありません。それでは研究をしたいのに博士号をとらないというのはどのような理由があるのでしょうか? よくある月並みな理由としては、

  • 経済的な問題 (仕事をすればお給料を貰って自由に使えるお金があるのに、博士課程はまだ学生)
  • 博士課程卒業後の就職先に困るのではないかという不安

という一種の「恐怖心」が2トップでしょう。まずはこれらを答えます。先に就職先の話から。

博士課程に進むと就職が難しくなると考えている人が多いようです(特に皆さんの親の世代は)。しかし、特に近年、社内で人材育成が難しくなった企業は即戦力を採りたがるので,今の時代の博士の就職は一昔前に比べ容易になりました。修士と大差ありません。博士人材の場合、普通の就活ももちろんありますが,学部や修士には見られないスカウトも頻繁です。博士学生は学会などで同分野の企業人と頻繁に接しますから,学生の個人名がハンターの間でささやかれるようになり,○○さんはどこに就職するの、もしよかったらうちに来ない?といった個人評価で就職が決まるパターンです。実は私も博士号取得前後から最初の3年の間に4つの異なるオファーをいただきましたし、そのうちの1つはみなさんも間違いなく普段からお世話になっているグローバル企業のR&D (研究開発) 部門チーフリーダー職で日本円にして数千万円という破格のオファーをいただいたこともあります。こういったスカウトはそれほど珍しいことではなく、今もよく創薬やバイオインフォマティクス系の博士人材を紹介してほしいというお声がけをいただいています。また、特にデータサイエンスやAIなどの博士人材は大手IT系の会社が高待遇で迎えているので、逆に (大手企業と違って待遇面では見劣りする) アカデミアポストについては慢性的な人手不足に陥っています。学術機関で研究にとりくみ、将来的に研究室主宰者になりたいという人には、多くのライバルたちが博士をとって企業に就職する現在、追い風が吹いています。結局のところ、博士課程でしかるべき訓練をしていて、人並みのコミュニケーション能力を持っていればどうにかなるのが実態です。博士課程で培ったハードスキル(専門性、技術力、英語力など)やソフトスキル(問題発見・解決能力、チームマネジメント力、タイムマネジメント力など)、これらが評価され志望企業の研究職の内定を取る方は少なくないですよ。もちろん、就職後も博士課程で得たスキルは大いに役立つことでしょう。

 

科学者たるもの、客観的な数字も知りたいですよね。文部科学省が実施する令和4年の学校基本調査によれば、修士卒で就職した54,687人のうち「研究者」になったのは2,914人 (6.7%、ただし大学の研究者は441人なので、多くはベンチャー企業も含む中小の企業研究者)です。一方で同じ調査の博士号取得者を見ると、10,977人の修了者のうちおよそ半数が研究者になっています (かつその半数はアカデミア研究者)し、90%の方は何らかの「専門的・技術的職業従事者」として活躍しています。つまりデータが示す結論は博士号取得者の前途は明るいということです。

この就職先の話とリンクするのが、博士課程の経済的な問題の話です。

博士をとって企業に就職した場合、実は博士号取得者は昇給・昇進が修士号より早いので、長い目で見ると30歳台以降の収入は修士修了と比べて平均で30%以上高いというデータがあります。これは,博士がより創造的な業務に就いて,企業・機関に貢献するからに他なりません。もちろん創造的な仕事は作業的な仕事と比べて様々な意味で自由度が高いです。「収入」と「自由」は人生を豊かなものにしてくれます。確かに修士で就職する場合に比べてお給料をもらうのが3-4年遅くなるわけですが、修士卒の20代後半の人がもらっている年収はざっくり400万程度、3年で1200万の違いにしかなりません。一方で、博士号取得者と修士号止まりの人は平均年収が160万くらい違いますので博士号取得後に10年弱もすれば十分にお釣りがきて、逆転した後はどんどん差が開く一方ですこちらの外部のページにも詳しいです。生涯年収は少なくとも5000万違うと言われています。20代の駆け出しの頃はお給料もかなり低いもの。修士卒で就職すればその最も低い時期に3年早くお給料をもらいはじめ20代のうちは1200万円リードできますが、その間に博士号をとった人たちはその後の稼ぎが違うのでトータルでは博士号取得者の圧勝です。もちろん博士号をとっているわけですから修士卒と違いクリエイティブな仕事やチームリーダーのような仕事も任せられるでしょうし、企業ではなくアカデミアで活躍することもできます。経済面でも、人生の自由度でも、博士号取得者にはメリットしかないと思います。20代の目先のことだけではなく人生トータルを考えてみてはどうかと思います。

さて、代表的な2つの不安について私なりの意見を書いてみました。他にも、博士号にはグローバル化が進み、研究職における博士号の重みが増すというメリットがあります。日本はこれからますます人口が減りますから、日本国内でしか活動していない企業は衰退する一方でしょう。ということは、若いみなさんがこれからの30年40年と社会で活躍する間には、良くも悪くもグローバルの視座が大事になるということです。これは企業の研究開発職も例外ではありませんし、むしろ研究開発職こそグローバルな影響を強く受ける部署でしょう。そして、企業研究職であれば博士号を持っていないと海外では全く相手にされません。ちなみに学士と修士は,世界的に見ても社会的地位にほとんど差がありません。博士だけに大きな優位性があります。また、企業でも研究職として上り詰めていくためには博士号が必要になっているところは多いです。修士しか持っていないと、君たちがいくら優秀でもいずれ年下の博士号持ちが上司になるでしょう。自分より一回りも若い上司が決めた研究プロジェクトについて、現場の作業員としてずっと関わりたいのであればそれでもいいのかもしれませんが。いくら医療者として優秀でも医師免許がないと病院長や保健所長にはなれないのと同じように、いくら国家公務員として優秀でもI種採用でないと本省の課長以上にはなれないのと同じように、いくら優秀な警察官・自衛官であっても幹部候補生コース出身でないと警視や大尉といった一定以上の役職にはつけないのと同じように、博士号を持っていないとあるところ以上の役職にはほぼなれません (自分で起業する or ベンチャー企業は別)。企業であれば研究の管理職、大学であれば(専任) 講師以上、病院であれば診療科長以上は博士号が必須と考えていいでしょう。もちろん、これは博士号取得者とそうでない人の役割の違いをいっているだけでありどちらが上とか下とかいう話をしているわけではないことは誤解なきよう。

当教室でも社会人大学院は若干名用意がありますが、全くオススメしません。そんなの出ても、単に名詞に「博士」と書けるだけ、本当にそれだけ。箔をつけたいだけならそういうコースも否定しませんが、研究者としての力をつけることはできません。世界的にはフルタイムで取り組んでいる人が多いのに、仕事をしながらスキマ時間に研究して同じ土俵にたとうというのはさすがに無理があります。

社会人ドクターのブログもいろいろあるわけで、それらを読むと、「研究の感覚を取り戻すのに1年」「終業後に研究室に行って実験」「結婚や出産といったイベントと重なる年齢にハードワークを強いられる」など、お金をもらいながら博士号を取れること以上に、負の側面が書かれていますよね。また、博士号を取ることがその企業にとってプラスにならないと判断されると、そもそも社会人ドクターになれないというリスクもあります。

かつての日本では,就職後に企業の (チームの) 仕事内容を論文にまとめて学位申請する論文博士が数多くいました。しかし近年は,企業の仕事ではなく,個人の創造活動に学位を与えるという学位の本来の精神に立ち戻り、論文博士は廃止される方向です (し、海外には存在しません)。つまり、就職後に企業の理解を得て論文博士をとることはほとんど不可能であり、就職後の博士号取得はどんどん難しくなっています。

昨今,人手不足が深刻になり,各社とも優秀な学生を早く確保したいので,年明け前から1日インターンシップといった実質的な就活の場が,年明け後には見学や面接が実施されます。そういった場では、会社の要職にある人から「博士号がなくてもやっていけるよ」という話が必ずあります。ところが,それを言っている当人は博士号を持っていたりします。一昔前は上に書いたように論文博士があったわけで、企業の方もそういう制度でとった方が少なくないわけですが、論文博士がほぼなくなった一方でグローバル化がどんどん進む現代社会では,このような昔の考えがそのまま通用する状況ではなくなってきています。

確かに博士課程へ進学すると,少なくとも近い将来までその分野を続けていかなければなりませんね。しかし、就職した場合こそ配属されてしまえば何年も同じような場所で同じような仕事を続けることになります。つまり就職しても,すぐに分野は固定化されます。

一方で博士課程では自分の心がけ次第ですが高い能力とキャリア,深い洞察力や広い視野が得られます.そうなれば,就職後も仕事の決定権を持つ要職に就き,様々な分野を巻き込むプロジェクトリーダーになる可能性も生まれます。つまり長い人生を考えたとき,幅広い仕事への展開は博士の方が容易です。

修士までで就職する人の場合,就活,就職,そしてその後の数年間はずっと同世代の横並びが続きます。若いうちは「みんなと同じ」を意識するでしょう。しかし昨今の企業では,早ければ20代から「どこがみんなと違う?」という,個人のアイデンティティが問われるようになり,それがその後のキャリアに大きく影響するようになります。個人の性格や趣味が生きる場面もあると思いますが,正式な教育として,また世界的に通用する経歴として,それが獲得できるのが博士課程です。みんなと違うことに孤独を感じることもあるでしょうが、社会に出れば,遅かれ早かれ孤独な立場になって自らの意志や力で進む必要が出てきます。博士学生のような立場は,独立心や独自性を育み,横並びのみんなとは違う何かを与えてくれます。

こういうプライベートマターは人それぞれとしか言いようがないのですが、博士課程だから結婚ができないというのは違います。

例えば私の大学院時代の同級生は、修士課程のうちに結婚し博士課程のときには3人の子供が生まれました。大学院時代の後輩たち (複数)は博士課程のうちに結婚していますし、お相手も博士課程の学生だった人もいます。また、私自身も博士号をいただく前に結婚しています。

確かにそういったプライベートの機会が (社会人と比べると) 少なくなるということは否定しませんが、数年間だけですし若いからいろいろ身軽です。これが例えば中堅どころになってから再度学生になると、より多くの問題が出てくることは想像に難くないと思います。

海外では博士課程の学生にはお給料が支払われます。その理由は、学生といえど即戦力が求められるからです。私は米国のハーバード大に留学していましたが、ハーバードの大学院入試では日本と異なり「どのような研究実績があるのか」が求められます。アメリカ人でも学部卒業後ストレートに院試に合格できるのは稀で、普通はとても安い金額でテクニシャンとして研究室で数年間働いてノウハウを身につけ学会発表などの実績を出し、その上で大学院入試を受けます。だから入学したばかりでもみんな研究の実績があり、だからこそ学生であってもお金を出そう、ただし実績もだしてね、となるわけです。また、ハーバードや一流大学の院試合格率は2%くらいしかありません。とても厳しい選考が行われています。

一方で日本では研究実績が全くなくても大学院に合格できますし、倍率もせいぜい2倍とかですよね。研究実績がない、これから学ぶ立場だから給料もないのです。

日本の大学院は教育的な要素も強いですが、海外の大学院は最初から一人前の研究者に準じた扱い、そのような考え方の違いが博士課程の待遇の違いにあらわれていると理解しています。平たく言えば、日本は学部卒業後すぐに大学院に進学できるけどお給料はない、アメリカはお給料は出るけど学部卒業後に数年間のgap year期間中に実績を出してからでないと大学院に入れない。お金か時間か、ということです。

最近は学振DCはじめ博士の人材にお給料を出す制度も増えていますということを最後に申し添えます。

この記事の趣旨とずれますがこれも多い質問なので考えを書いておきます。

アカデミアの研究はみなさんにとって馴染みのある「大学の先生」がやっている研究です。基本的には研究者が自由に研究をしています。一方で企業の研究は企業の業務の一環としてやっているわけですから、研究テーマ等を決めるのは企業や博士号を持つ研究本部長など幹部職員ですし、修士卒の末端研究員の実態は語弊を恐れずに言えば指示通り行う作業員です。また、テーマもすぐに打ち切られて全く違う新しいものが提示されたり、成果が出せないと研究とは違う部署に配置換えになります。大企業の研究職を10年以上行った方のこちらの記事も勉強になります。

私個人としては、何を研究してもよい自由度があるアカデミアの方がずっとよいと思います。

ただ、少しだけ注意点を補足すると、例えばたまたま学部生の卒業研究に配属された研究室で修士、そしてそのまま博士へと漫然と進むのはオススメしません。自分が最も成長できる環境 (研究室) をよく考え、そこに身を置く必要があります。また、博士課程に進むからには、その期間はかなりのエフォートを自己投資に使わなければ何者にもなれないでしょう。うちの研究室も「清水研 厳しい」などで検索してくる方がいますが、研究室が厳しいかどうかに関係なく、自分自身を厳しく律することができない人は博士課程には行くべきではありません。たとえば、下積みの段階から土日祝休みが当たり前だと思っているのは全然お話になりません。例えば就活が嫌だからもラトリアム的に博士に進むのは絶対にやめたほうがいいです。私は大学の学部1年の頃から研究室主宰者として独立するまで15年間、週に2日も休んだことは (冠婚葬祭を除いて) 一度もありません。学部1年、まだ10代のうちからそのような生活をしている私からすれば、25才近く (あるいはもっと上?) にもなって修行段階から土日祝休みという甘えた思考の持ち主は理解に苦しみますし、そもそも博士号に値しません。休みは大事ですが、週に1回とればOKですし、バイトすることも趣味に・デートに出かけることもできます。君がどのような分野に興味があるのか知りませんが、どんな領域にせよ週6で研究に打ち込みたい、そして自己実現を目指したいという人でなければ研究者は向いていないので博士課程はやめたほうがいいでしょう。逆に、それさえクリアできるなら、そして研究職を本気で目指しているのであれば、社会に出るのが3年遅れるのは遠回りではありません。医学部にも医師を目指して数年ほど浪人生として挑戦し続けてから医学科に合格した人は同級生にも後輩にも少なくないですが、彼らは夢を達成できて幸せそうですし、私自身も浪人を経験しています。今は博士課程の数年は今は長いような気もするかもしれませんが、自己実現に向けて努力する数年なんて長い人生のうちではとても短いものです。

大事なのは就職か進学かという短期的なことではなくもっと中長期的な将来どうなりたいかという視点です。もし研究に関わる仕事をしたいなら、博士課程に対して過度な恐怖感を抱かなくて大丈夫です。もし修士卒で研究職を狙っているのであれば、むしろ「なぜ修士という研究者として一人前になる前の中途半端な状態で卒業したいのか?」をしっかり整理してください。恐怖に動機付けされていませんか? これからの時代は他の人との差別化が自己実現を目指すうえで非常に重要ですが、みなさんの親世代と比べ今は (理系は) 修士卒がデフォルトになっていますよね。ですからみんなと同じように修士で卒業してもそこは差別化ポイントではないわけです。もし本当に研究をしたいという気持ちがあれば、博士号取得以外に考えられないのではないでしょうか? 博士進学する道と進学しない道の2つでいつまでも迷えば迷うほど、修士の間に習得できることも少なくなるでしょう。私はもう高校生の頃から博士までとると覚悟を決め、大学に入学後は背水の陣で研究に精力的に取り組んだからこそ34才の時に研究室主宰者として新たなスタートを切ることができましたが、これがいつまでも迷っていたら熱の入れ方が違うでしょうからそうはなってなかったでしょう。

スティーブ・ジョブズはスタンフォード大学で名言を残しています。

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

(もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分がやりたいことだろうか?)

若いみなさんの多くの方にとっては「人生最後の日」なんてイメージできないかもしれませんが、いつ「人生最後の日」が来るかは誰にもわかりません。私自身は仮死状態で生まれていますし、2011年3月の東日本大震災では当日体調不良で休んだものの本当はその日 津波に襲われた宮城県の沿岸地区に行く予定がありました。2021年7月にはアメリカで無差別銃撃事件に巻き込まれています。

それでもう一度聞きますが、今日が人生最後の日だとして、本当に自分がやりたいことをやれていますか? 

幸いにしてあと60年余命があったとして、年をとってから若いあの頃に挑戦しなかったことを本当に後悔しませんか?

もし研究が好きなのであれば、恐怖や不安、焦りを飲み込み、将来自分がどうなりたいのかを考えてみてください。しかるべき覚悟を持ってしっかり取り組む限り、博士課程は遠回りではないはずです。参考までに、最初から博士に行くと覚悟を決めて精力的に取り組んでいるうちの1期生である大谷さんは、修士1年のはじめての学会デビューでさっそく学会賞をとっていますよ。研究職につくうえで大事なのは、個人の頭の良さとかそういうことではありません。高校時代も大学時代も大学院時代も、私の周りには研究者志望の天才たちがたくさんいました。当時、能力的には彼らに全然かなわないと何度も絶望したのを覚えています。唯一私が彼らより秀でるものがあったのだとしたら、絶対に諦めないと覚悟を決め、ひたむきな努力を継続すること、ただそのマインドだけです。圧倒的大多数の人は、一時的な努力はできるもののそれが継続できませんし諦めてしまいます。研究者へのキャリアパスは鉄棒だと思ってください。ライバルはすぐにぶら下がるのを辞めてしまいますから、ただ人より鉄棒を掴んでいればチャンスがやってくるのです。人間、もともと持っている能力は実はそれほど大きく変わりません。正しい努力をどれくらい長く継続したのか、継続力が全てです。私の能力では… と悲観する必要は全くありません。情熱をもって正しい方向性の努力を継続できるからこそそのうち雲の上の存在に見えたライバルに追いつき追い越すことができるのです。ただその一点だけが勝負の分かれ目なのです。人生100年時代、研究者になりたいという気持ちがあるのに自分の可能性を諦めて修士で就職するのはもったいないし、博士号取得により「その他大勢」との大きな差別化ポイントができるわけで多様な生き方も可能になるわけですから、博士号取得にはメリットしかないですよ、ということだけ、ご縁あってこのページを見てくれているあなたにだけこっそり伝えておきますね。