潜在空間分子設計 参加報告
6/12, 13の日程で東北大学で行われた、学術変革A「潜在空間分子設計」の領域会議に参加してきたので、その報告をする。私自身、学会ではなく会議に参加したのは初めてだったので、その所感も合わせてお伝えしたい。
これまで創薬などを目的とした化合物は天然物ライブラリーもしくは合成化合物ライブラリーのどちらかであった。この領域では第3のライブラリー、化合物潜在空間ライブラリーの構築することを数十の研究室が共同して目指すグループである。潜在空間とは数理的な情報としてものを表現した空間のことである。変分オートエンコーダや敵対的生成ネットワークなどの文脈で登場する潜在空間と同じ意味である。要するに、化合物のさまざまな特徴を表現する空間上に射影する空間を作ることができれば、有用な機能を持つ化合物 (薬とか) が埋め込まれたプロットの近くの化合物は似たような性質を持つはずだ。という期待のもと作成されるバーチャルライブラリーである。また、この領域では特に天然化合物に注目している。これまで提案されてきた薬の多くは植物や細菌が産生する天然化合物をもとにしていることが多い。この期待値の高いライブラリーを潜在空間分子設計の考え方を用いて活用・拡張を目指している。
学術変革A「潜在空間分子設計」では、3つの班分けがされて上記の目標の達成を目指す。ケミカルバイオロジーを中心とした検出技術や探索する天然化合物ライブラリーを作成するケミカルバイオロジー班、情報解析技術を用いた化合物探索を行う情報解析班 (清水グループはここに所属)、そして見つかった化合物を実際に作る有機合成班の3つから成り立っている。
初日は各計画班 (領域の中のいくつかのグループ) の口頭発表を聞いた。印象に残ったいくつかを紹介したい。一つ目はイメージング技術の発表である。このグループは一度細胞膜上にでたタンパク質を標識するという技術を開発している。細胞膜を通過しない、という本来あまり嬉しくない性質を用いて細胞表面に出てきた内在性のトランスポーターなどのみを標識することができる。この技術はそのタンパク質がどれだけの時間細胞表面に存在しているかを観察することができる。グルコーストランスポーターを細胞表面に出すような化合物を発見できれば、インスリン非依存性の糖尿病治療薬が開発できるかもしれないとのことだった。分子標識の技術を開発することによって、治療標的となりうる機構を見つけるという今まで自分には全くなかった発想の創薬手法だった。
二つ目は新規化合物ライブラリー創出に関する発表である。有機合成に関して全くのど素人で、作っているもしくは作ろうとしている化合物の複雑さに驚いた。これまで私出会った複雑な構造は生化学で出てくるヘモグロビンに含まれるヘムなどがトップグループだったが、それが3つ4つ結合しているような化合物を作る研究をなさっていた。また、いかに合成を迅速・効率的に行うための手法開発もこの業界では重要な研究課題のようだ。色々な構造をつけやすいように改良した化合物のフラグメント (合成の足場になるようなもの) を開発し、それをもとにさまざまな構造を作っていく様は素人の私からは超絶技巧の職人技に見えた。今後、自分の研究で出てきた化合物を実際に合成して実験で試したいところなので、早い段階から合成のプロとコミュニケーションを取っていきたい。
2日目はポスタセッションだった。発表の数としては40ちょっとで、学会等と比べたらこじんまりしていた。こちらに関してもいくつか抜粋して紹介したい。
化合物潜在空間の長所の一つは、計算機上で”それっぽい”化合物を大量に生成できるところである。具体的には、薬っぽい化合物、天然物っぽい化合物など狙った特徴を持つ化合物が得られるということである。化合物生成モデルの研究を行っていた先生によると、生成した化合物のほとんどが”それっぽい”性質を持っており、しかも学習データには含まれない新規の化合物であった。ほぼ無限に生成できる生成モデルが拓く潜在空間ライブラリーへの期待が高まった研究であった。
最後に理化学研究所の古澤先生の耐性菌の研究発表について報告したい。耐性菌は薬剤ストレスが菌にかかることで生まれてくる非常に困った存在である。これはストレスによる選択圧がかかり、ストレスに耐え抜く表現型をもつ猛者たちがセレクションされていくことで生まれるのだが、驚くことに特定のストレスに強くなる過程で、他の別のストレスに強くなったり弱くなったりという現象、交絡が起きる場合があるという。この現象について表現型を調べたところ、これも驚くことに僅か10程度の因子でほとんど説明できるという。つまり、割と狭い表現型空間上をストレスを受けた細菌が移動しており、その過程で他のストレスへの応答性がどうしても変動してしまうということだ。この現象への理解が進めば耐性菌が生じにくい抗菌薬の組み合わせなどが提案できるだろう。私自身、耐性菌に興味があるので非常に印象的な発表であった。余談だが、なんと古澤先生は当分野の大野先生の学部・修士時代の師匠の先生であったことを後に知った。
会議は学会よりもより狭い領域の玄人が集まっているイメージであった。基本的に何か共通の目的を持って集まったメンバーであるので当然ではあるが、勉強の側面よりも成果や目的の報告・共有が行われる場であったように感じた。また、普段学会等では自ら足を運ばないような内容を聞くことができた。例えば、化合物をどのように作るのかとか、先述したイメージングの技術などだ。ただ、共通の目的のもと大きな流れの中でそれぞれが研究を進めているので、自分の研究の立ち位置やその前後にある研究や技術を把握することができ、非常に勉強になった。
2024年6月12日と13日に東北大学片平キャンパスで開催された学術変革領域研究 (A) 第2回公開シンポジウムに参加した。人工知能による化合物潜在空間は、天然化合物や化合物ライブラリーに続く第三のリソースとして注目されている。効果的な化合物潜在空間の構築には、GMTL (generate、make、test、learn) サイクルの実施が不可欠である。このプロセスは3つの班に分かれて進められる。A班は天然物ライブラリーからの大規模スクリーニングで化合物特性データを収集し、B班はそのデータを基に深層学習で化合物潜在空間を構築、新規化合物の生成と活性予測を行う。C班はB班の生成した化合物の逆合成解析と実際の有機合成を担当する。以下、特に興味深く感じた発表を報告する。
12日の口頭発表では、九州大学の丹羽先生と東北大学の上田先生の研究発表が特に興味深かった。
丹羽先生は複雑な有機化合物分子の合成経路開発について発表した。ジアゾニウムのカップリング反応を利用することで、複雑な化合物を選択的かつ50%以上の収率で合成することに成功したという。この手法は、多段階の反応を必要とする複雑な化合物の合成条件を大幅に簡略化し、効率を向上させることに成功したことを報告した。私が学生実験の時の有機化合物の収率が5%未満であった経験を踏まえると、適切な反応条件や官能基を用意することで、ここまで効率よく合成できるものなのかと驚いた。
上田先生はリガンドと受容体を結ぶ「分子糊」を研究している。従来のリガンド-受容体相互作用モデルでは生物活性の正確な評価が困難な場合がある。上田先生はリガンドと受容体の間に存在し、それらの結合を強化する植物ホルモンを発見し、「分子糊」と呼んでいる。これは私が知っているリガンド-受容体相互作用の概念を拡張するものだった。創薬の研究に携わる者として、リガンドと受容体だけでなく分子糊のようなそれらの結合親和性を亢進するような化合物にも着目した研究もできたら面白いと感じた。現在上田先生のグループは分子糊の情報も加えたライブラリーを構築しているとのことなので、そのライブラリーを学習データとして活用できれば、新たな切り口からの創薬につながるのではないかと期待をした。
13日のポスター発表では、慶應義塾大学の新井先生の研究が印象的だった。
新井先生はがん細胞のタンキラーゼ阻害剤を条件付きで生成する研究に取り組んでいる。臨床で使える薬を創成するためにはただ単に阻害活性があるだけでなく、物性の安定性や薬物動態も担保する必要がある。そこで新井先生は化合物潜在空間からタンキラーゼ阻害活性を保ちながら目的の所望の分子量の化合物を条件付きで生成するモデルを開発したということだ。さらに、モデル構築にとどまらず、in vivo実験で生成した化合物の薬物動態を検証したという。医薬品候補化合物の生成に関心があるので、是非とも参考にしたい部分があった。生成した化合物を実験で検証することで、その研究の信頼性と実用性が大きく向上することを実感した。
最新の論文を読むことで、研究の最前線の知見を得ることができる。しかし、今回のシンポジウムに参加して一番大きかったことは、論文のその先の、今どんな研究をしているのか、次にどんな研究へ発展させたいか、など最新の論文を読むだけでは知り得ない本当の研究の最前線に直接触れることができ、とても刺激を受けたことだ。このような機会を通じて得られた知見や人脈は、今後の研究活動に大いに活かせるものと確信している。