第84回日本癌学会学術総会参加報告
この度、2025年9月25日から27日にかけて石川県金沢市で開催された第84回日本癌学会学術総会に参加させていただいた。今回の学会参加の動機は、自分ががんの研究に携わりたいと考えており、がんに関係するテーマを始めたいと考えたからである。がんに興味を持ったきっかけは学部の頃の臨床実習で、実習を通じてがんという疾患とその複雑な病態に強い興味を抱き、臨床現場で目の当たりにする現象の理解を目指す基礎研究に携わりたいと考えるようになった。本学会は、がん研究における国内最大級の学術集会であり、最新の知見に触れる絶好の機会であった。本稿ではその感想を共有する。実際に参加してまず驚いたのは、その規模の大きさであった。主要な会場だけでも複数の施設にまたがり、連日15近くのセッションが並行して進行し、1日に数百題以上のポスターが掲示されていた。余談だが本学会はポスター会場が駅の地下通路であり、一般の方が行き交う傍らでポスターボードが並べられスーツの一団が集まっている様子は傍らで見ると面白かった。限られた時間の中では、全体のプログラムのごく一部しか聴講することは叶わなかったが、それでも会場の熱気や議論の応酬を通じて、現代のがん研究における大きな潮流や雰囲気を肌で感じ取ることができたように思う。
今回の学会を通じて学んだこととしてまず、がんゲノム医療中核拠点病院などが中心となって構築しているC-CAT(がんゲノム情報管理センター)のリポジトリについて挙げる。がんの個別化医療の動向に興味があり、これまでも存在は知っていたが、現時点で10万人を超える患者データが蓄積されているその規模と、変異頻度情報だけでなく申請すれば個別の次世代シーケンサー(NGS)データにもアクセス可能であるということには驚かされた。一方で、遺伝子パネル検査は変異を見つけることがゴールではなく、その変異に対して有効な治療を受けることによって患者さんの直接的な利益につながる可能性が生じる。以前に、パネル検査によって遺伝子変異が見つかってもその変異に有効な治療が見つかる確率は高くなく、検査が予後の改善に寄与しないという話を耳にしたことがあった。今回聴講した発表では、予後に関するエビデンスレベルが高い変異を有する患者ほど予後が良いという結果が報告されていた一方で、臨床研究や適用外処方を受ける患者さんの割合は1割未満というデータも目にした。一定の進歩が見られるものの、依然として遺伝子変異と病原性の関係性についての知見と、治療との間のギャップは大きいのだと認識した。新たな治療法開発に関しては、AMED(日本医療研究開発機構)が支援する難治がんの創薬に関するシンポジウムが非常に勉強になった。具体的には、膠芽腫に対する次世代核酸医薬の開発や、難治性がんに対する代謝を標的にした新規低分子化合物の創出についての発表が印象に残っており、その長年にわたる膨大な研究成果に圧倒されるばかりであった。それに加えて、個人的に大きな学びとなったのが、登壇された先生方のプレゼンテーション技術である。実は、どちらの先生のご講演も以前に拝聴したことがあったのだが、今回はその時とは異なるストーリー展開で、より本学会のセッションに適した構成であった。毎回の学会参加で痛感することであるが、研究成果そのものの価値はもちろんのこと、それをいかに面白く、わかりやすく伝えるかという技術もまた、研究者にとって不可欠な能力であることを再認識した。
一方で、これらのデータベースの基盤となるバルク解析(複数細胞が混ざった状態での解析)では、がん組織の不均一性(ヘテロジェネイティ)を捉えきれないという限界もある。がん細胞だけでなく、免疫細胞や線維芽細胞など多様な細胞で構成される腫瘍微小環境の理解や、腫瘍内に存在する異なる遺伝的背景を持つサブクローンの動態を解明するためには、scRNA-seqに代表される個々の細胞を区別して解析するシングルセルのデータ計測と解析が不可欠である。シングルセルレベルでの解析で特に興味深かったのが「体細胞モザイク」という概念である。これは、一見正常に見える組織においても、加齢に伴い体細胞に遺伝子変異が蓄積し、異なる遺伝情報を持つ細胞集団がモザイク状に存在する状態を指す。例えば、増殖が活発な子宮内膜の正常組織を調べると、非常に若年の段階で、既にがんで頻繁に見られるドライバー遺伝子変異を持つ細胞クローンが広がっているという。にもかかわらず、実際にがんを発症するのはその中のごく一部である。この事実は、遺伝子変異の獲得が、がん化の必要条件ではあっても十分条件ではないことを示唆している。なぜ一部のクローンのみががん化へと至るのかについては未だわかっていないという。体細胞クローンの概念については聞いたことがあったが、今回参加したセッションでより具体的な研究内容を聞くことができ、興味と理解が深まった。しかし、これらの研究で活用されているシングルセル解析はコストが高いという現実的な問題もある。この点に関して、あるランチョンセミナーでは、①遺伝子発現のヘテロジェネイティが高いことが予想される場合、②組織中の腫瘍細胞の割合が低い場合、③腫瘍微小環境を構成する非がん細胞の動態を詳細に見たい場合、という基準が示されており、今後がんに関連した解析を行う上でシングルセルのデータを使用するかの参考にしたいと思う。
シングルセル解析と並んで近年存在感を増している技術が空間トランスクリプトームの計測とその解析である。今回の学会ではシングルセルと空間トランスクリプトームに関する口頭発表がおよそ80演題存在することからも、その普及ぶりが窺える。がんの研究においては、腫瘍微小環境の研究に使われていることは認識していたが、今回の国立がん研究センターの西川博嘉先生のご講演でそれらの研究の面白さを垣間見ることが出来た。先生は、がん免疫研究が不遇の時代を経て、いかにして現代のがん治療の主役へと躍り出たかという歴史的背景から話を始められた。そして、抗原提示を受けたT細胞が活性化されると一気に形態が変化し、がん細胞を攻撃に向かう様を捉えた動画は、生命の精緻なメカニズムを視覚的に示しており、序盤から一気に惹き込まれた。空間トランスクリプトームを用いてがんの検体を解析すると、同じがん種の組織画像であっても、免疫細胞がほとんどいないタイプ、制御性T細胞(Treg)ばかりが優位なタイプ、そして細胞傷害性T細胞(CD8陽性T細胞)が豊富に浸潤しているタイプなど、患者によって腫瘍微小環境における免疫細胞の浸潤パターンや構成比率が全く異なることが以前より明らかになっていた。先生のグループでは、それらの違いと治療応答の関係性を明らかにするために、細胞表面のマーカーと近年さまざまながん種で用いられている免疫チェックポイント阻害剤の治療効果を機械学習を用いて解析した。すると、1番関連が強かったのはCD8陽性T細胞の細胞表面のPD1の発現で、次に高かったのはTreg表面のPD1であった。今回のご講演ではどのようなメカニズムでTregにPD-1が高発現するのかについて紹介されており、個人的に大変興味深かったので、既に論文化されている内容について以下に詳細な内容を記載する。結論としては、乳酸という物質がエネルギー産生のための代謝経路である解糖系を亢進することによって、PD-1の発現を上昇させるというものだ。解糖系が亢進すると、代謝産物であるホスホエノールピルビン酸がカルシウムの小胞体への回収を阻害することで細胞内のカルシウムが高値に保たれる。これにより、転写因子であるNFATが制御されPD-1の発現が上昇する。そして、乳酸の濃度が高い条件では、乳酸がPEPに変換されることによってPD-1の発現が上昇する。そしてこの乳酸を細胞内に取り込む輸送体はTregで多く発現している。つまり、がん細胞の活発な代謝や、肝臓などの乳酸濃度が高い環境では、TregでPD-1の発現が高くなり、免疫チェックポイント阻害薬の1種である抗PD-1抗体によって、Tregの抑制が抑制されることで、Treg自体が活性化され、Treg本来の目的である免疫の抑制が起こる。この発見自体も大変興味深い上に、この基礎的な発見が、「肝転移を有する患者にICIを投与すると、一部で急激に病状が悪化することがある」という臨床現場での経験的知見と結びつく様は、まさに自分が目指したい研究の姿そのものであり、大変な感銘を受けた。この一連の研究を通じて、がん免疫という複雑な現象を理解するためには、シングルセル解析、そして空間トランスクリプトーム解析が極めて重要であり、今後がん研究においてますます隆盛を極めていく分野であると確信した。
治療前の早期診断のためのバイオマーカーの開発も盛んな研究分野の1つであった。特に、相対的に予後が悪く発見時に進行していることが多い膵がんに対するバイオマーカーの研究が非常に盛んである印象だった。今回参加したセッションでは既存の腫瘍マーカーであるCA19-9を凌駕し、かつ一般の検診レベルまで普及可能な新たなマーカーを実用化することが、いかに大変な苦労を伴うものであるかを改めて認識させられた。検診の導入にあたっては、そのベネフィット(利益)と不利益(偽陽性による過剰な検査など)のトレードオフを慎重に考慮する必要があるとは漠然と認識していたが、具体的にどの程度の感度や特異度があれば臨床的に許容されるのか、その具体的な目標値については見当がついていなかった。あるセッションで提示された試算は、この点に関する明確な視座を与えてくれた。第一度近親者に膵がん患者が2人以上いる人は、一般集団と比較して膵がんの発症リスクが約6.4倍高いため、画像検査によるサーベイランスが推奨されている。この事実に基づき、開発中のバイオマーカーが一般集団の中から膵がんリスクを6.4倍程度まで濃縮(層別化)できるのであれば、その集団に対して検診を実施する意義があるだろう、という試算は非常に納得のいくものであった。いくつかのセッションで同じがん種に対するさまざまなバイオマーカーが検討されていたが、個人的には使用しているデータや検体に早期ステージの症例が少ないことなどが有効性の検証の限界になっていると感じた。素人意見で大変恐縮であるが、C-CATのように難治性がんや希少がんの検体についても複数の研究グループが広範利用が可能な状態で保存されれば、より臨床応用を見据えた研究が促進されると感じた。
3日間の学会参加を通じて、改めてがん研究の層の厚さを認識した。本稿では、現在自分が興味を持っているオミクス解析という細胞内の分子を網羅的に計測・解析するタイプの研究について主に紹介したが、古くから研究が続けられてきたp53やWntシグナルといった特定の分子やパスウェイについても、1つの分子で1つのセッションができるほど盛んに研究されていた。ゆえに、オミクス解析の結果が既知の知見の再現にとどまらないよう、主要な分子や経路についてある程度の知識を蓄えた上で、必要に応じて追加で調査することのできる素養が必要だと実感した。今回の学会参加で得た多くの刺激と知識を足がかりに、研究テーマの着想ブラッシュアップしていきたい。