どのような研究室がいいのか、というのは非常に難しい問いであり十人十色の答えがあっていいと思いますが、選んではいけないラボは簡単です。ここでは、研究者を目指すなら絶対に選んではいけないラボ (笑) の見極め方を紹介します。

選んではいけないラボの特徴9つ

研究室主宰者 (PI) と価値観が大きく違う

ボスと価値観が合わないならそれだけで大学院生活は一気にハードモードになります。高校の担任と合わなくてもそれほど大きな問題にはならないでしょう。担任の先生は朝夕とその科目の授業のときだけしか遭うことはないですしそれに1年だけです。大学にはそもそも担任がいないです。しかしPIは違います。研究室生活が始まると、卒業までの数年間はPIと一緒にいることも多いです。しかも学生という立場上、PIに物申すことが難しいことも多々あるでしょう。PIと相性がよければきっと大きな力になってくれますが、逆に相性が悪ければ非常に苦しい大学院生活になってしまいます。相性というのは価値観が近いかというところに大きく依存するので、PIのさまざまなエピソードをよく調べる必要もあります (面談でちょっと話した程度では価値観をあまり探れません)。

ほとんど情報公開をしていない

令和の時代、インターネット等での情報発信はマストです。特にラボのホームページは外から見て一番わかる部分です。しかし研究室によってはラボのホームページが5年10年前の情報で更新が止まっているところもあります。ラボで一番目立つところに力を入れていないPIが、もっと目立たないラボ内のことを見ていると思いますか?そのようなPIが研究室の中を把握している可能性は少ないと考えるのが賢明でしょう。

大学院生が歯車の1つにされている

NatureやScience等に論文を発表している素晴らしいPIのもとで学位をとった人の話もよく聞くのですが、しばしばあるのは、PIが非常に切れ者であるが故にボスが考えた壮大なテーマを複数のメンバーが分担して取り組んでいるというパターンです。もちろん大きな論文に自分の名前が掲載されて一見happyですが、果たしてそのようなことで今後も研究者としてやっていけるのでしょうか?世間的にはボスの指図で分業でやった研究は、ボスがすごいのであって、実際に手を動かした学生がすごいのではないですね。みる人がみれば誰の手柄なのかは一瞬です。テーマの設定を上の先生がやって、自分はプロジェクトの一部を担当したという状態で博士号をとると、研究者人生は詰んでいます。テーマを自分で設定し、自分でプロジェクトの多くをやって自力でまとめるという、研究者としての当たり前のトレーニングがなされていないからです。清水の知人でも、大学院の間にnature本誌および姉妹誌クラスに複数の論文を筆頭著者として出したのに海外のトップラボに留学したら10年近く1本も論文が出ず、結果的にアカデミアを諦めた人が何人もいます。大学院時代に自分主導で仮説形成・検証を繰り返して研究をすすめるしかるべき訓練がなされていないとnatureに出すようなスターでも生き残れません。切れ者の指導者が大学院生を歯車のように使って大きな論文を発表するスタンスのラボはNGです。かつて学部生時代に、博士課程で大事なのはトップジャーナルでなくていいからその代わりしかるべき評価を受けている中堅誌にほとんど自分の力だけで1本の論文を発表し研究の最初から最後まで自力でやりきる経験をすることだと言われました。私もこれが最も教育効果の高いことだと考えていて、マイプロジェクトを積極的に奨励していますが、歯車系のラボでは自由にプロジェクトを始めることなどできません。

一切の指導がない放任主義

歯車の逆パターンで、ボスが極めて多忙とか、ありとあらゆるテーマをやっているラボに多いです。ボスからは一言「〜について何かやってみたら」と言われ、具体的なことは1年目の学生に丸投げです (理想的にはボスと学生双方がアイデアをお互いに示してプランを立てるとよいです)。自分で自由に研究できるわけですが、「自由」と「責任」は表裏一体なので、全く研究成果が出なくても「そのテーマの専門じゃないから」という理由で誰も何もコメントしてくれません。もちろんボスが何かリソースを提供してくれるわけでもなく、ただただ「早くやれ」と言われるだけの日々です。もちろん耐えきれずにラボを去る人も多めです。ただし、自分の才能にみなぎる自信があれば放牧してもらっている方が成果が出ます。スーパー研究者の若い頃はこのパターンであることも多いですので、一概に悪いとはいえないかもしれません。

無駄なトップジャーナル縛り

これは有名大学のトップラボに多い傾向なのですが、IF 2桁雑誌とか、ひどい場合にはCNS (cell, nature, science) にしか論文投稿を認めない教室もあります。確かにこれらの雑誌に論文を掲載できれば、非常に大きなステータスが得られること間違いないでしょう。ただ、昨今はこれらの雑誌に掲載するためには膨大なデータが必要です。学位を持つ研究者でも、最低でも5年、通常は10年スパンで本腰を入れて取り組んで栄光を勝ち取るのが普通です (もちろん競争率は非常に高いので、10年取り組んでもアクセプトされないことも多々あるでしょう)。教授はこれでいいわけです。誰かがトップジャーナルに出してくれればラストオーサーの教授の成果になるわけですから。でも大学院生は違いますよね。トップジャーナル縛りのラボだと、学位を取るのが大きく遅れてしまいますし、そもそもトップジャーナル級の成果が出ない時には論文にできないわけですから学位もとれません。こういうラボは外から見ると華々しい成果が上がっているように見えますが、大学院生として一度中に入るとまず生きて出てこれません。

ラボ内バトル・ロワイヤル

バトル・ロワイヤルという漫画が一時期学生の間で流行になったことがありました。たった1人の生き残りをかけて、仲間同士で争うストーリーです。これと同じことをやっているブラックラボがあちこちにあります。こういうラボだと、例えば複数の学生に全く同じテーマを与えるのです。教授としては、それらの学生のうちの最も優秀な人が成果にしてくれればいいわけですが、全く同じテーマを与えられた学生たちは1枠をかけて一瞬でも早く成果にこぎつけるように争う必要があります。もちろん、お互い文字通りのライバルですから、情報共有なんか絶対しませんし、時にライバルが使っている実験試薬に違うものを混ぜたりして足を引っ張り合うこともある、殺伐とした雰囲気だとそういうラボの在籍者たちに聞いたことがあります。仲間同士で蹴落とし合う悲しいラボを選んではいけません。

昭和の体育会系

ラボの中には体育会系のところもあります。上下関係がかなり厳しいだけでなく、「技は教えてもらうのではなく自ら盗むものだ」という考えの人もいます。こういうところだと、例えばwestern blotを教えてもらうのではなく、誰かがやっているところを後ろから見学させてもらい (あくまで見学であって、やっている人から詳しいプロトコルを貰えるわけではなく、何をどれくらい加えたというところまで自分でメモしないといけません)、1度見せてもらったものは自分で完璧にできないと怒られるという話を某ラボの人から聞いたこともあります。過保護なのは考えものですが、こういう無駄な体制になっている昭和の旧態依存としたところはNGです。

大学院生と1:1で面談できない

研究室訪問の際、PIとのみ面談が組まれてラボメンバーと話す機会がないようなところは要注意です。あるいはあったとしてもPIが同席していたら同じです (大学院生としてもボスがいる前では悪い点は言えないです)。PI以外のラボメンバーと (PIがいないところで) 話す機会もあって、研究室のデメリットも含めてPI以外の第三者から聞くのが望ましいですが、それをしないというのは、PIがあなたのことをあまり考えていないか、聞かれてはいけない点があるからです。いずれのケースでもunhappyになるリスクは大きいと思います。

自分が助教になるよりもPIの退官の方が早い

博士号を取得し、ポスドクをしてから助教になるまで、今から何年プランですか?もちろん現時点では不確定要素も多いですが、それでも目安は出しましょう。そしてそれよりもPIの退官の方が早い (国立大学は65才で定年)なら、そのラボはやめたほうがいいです。ポスドクも留学も助教人事も、大学院時代の先生の後押しが必要です (例えば海外でも推薦状は必ず要求されます)。ボスが退官していてそういう点で困る話もしばしば聞くので、少なくともその頃までは現役で研究をしているであろう年代のPIの方がキャリアを考えるといいです。

アカデミア研究者を目指す上でのラボ選びの鉄則

上記絶対NGを踏まえた上で、アカデミア研究者を目指すならどのようなラボがいいのか、34才で教授になった経緯を踏まえた上で5つの鉄則を大学院研究室のおすすめの探し方・選び方【 医学・バイオ・生命科学領域の研究者になる5つの秘訣】という記事で提示しています。ラボ選びの参考になれば幸いです。