アカデミア研究者を目指すなら学生の間に2つの研究室に所属しよう

学生視点から

世の中には「研究者になりたい」という学生がたくさんいますが、そういう人たちの中で真剣に将来を考えて行動をしている人が極めて少ないのが不思議でなりません。なぜ安易に学部の頃の大学・研究室と同じところに修士で進み、そして修士と同じ研究室に博士でも進むのですか? いや、これは学生だけの問題ではないですね。博士の頃と同じラボにずっと居座っているご意見番の助教とかもいます。私の知っている人の中では学部4年から20年も同じラボに居続けたケースもあります。

さて、それではこれの何が問題なのでしょう? まず、そもそも大学入試で入った大学がしかるべき研究ができる大学なのかということがあります。日本には700近い大学がありますが、その中で世界に伍する研究大学はほんの一握りでしょう。また、そういう一流大学の中でも研究教育体制がしっかりとしているところは一部のラボにとどまると思います。自分が希望したトップレベルの大学に入っており、かつ自分の第一希望だった素晴らしい研究室に配属されたなら、まずはOKです。でもそうでないなら、例えば「自分の学力に見合う大学を選んだ」とか「第3志望の研究室だった」とかなら、選択肢は2つだけです。1つは理想とする研究者になるために大学院進学でリベンジするのか、それともアカデミア研究者になることを諦めるかです。妥協して選んだ大学・研究室に所属しておきながらそこで博士までいっても研究者として生き残ることはできません (少なくとも私はそのような事例を知りません)。アカデミア研究者を目指すのなら、学部→修士、あるいは修士→博士のタイミングで外部の研究室を受けるしかないのです。

それでは次に、最初から理想とする研究大学に入学して、希望のラボに配属されて、一見順風満帆な場合、なぜ他の研究室を考える必要があるのかを考えてみます。一昔前の研究者は特定の狭い領域のテーマを突き詰めていくスタンスでしたのでこれでもよかったわけです。しかし今はどうですか。Nature, Scienceといったトップジャーナルには、非常に学際的な複数のアプローチを統合した研究しか掲載されていないでしょう? 今の時代ですらそうですから、これからの時代に活躍するであろうみなさんは、ある特定の専門領域にはとても詳しいが他の領域は何も分からないというのではまず研究者としては生き残れないわけです。いろいろなことを学んできた人が、ある時から専門特化することはいくらでもできるわけですが、逆に1つのラボで何かに専門特化してきた人が、他の領域を取り込むのは膨大なエネルギーを必要とします。吸収力が高くかつ時間のある学生時代こそいろいろなことを学んでほしいと思っています。博士号をとるまでの間に、2つの研究室に所属する。そして博士号をとったら3つ目の新しい研究室 (できれば海外) に移る。これがアカデミア研究者として今も活躍している人たちの典型的なキャリアです。その後も、ポスドクの間は3年くらいでラボを移る必要があります。例えば日本の学術振興会特別研究員 (PD) でも3年間の支援ですし、アメリカでもポスドクは3年前後で次の場所に移動します。駆け出しの頃はこのようにある程度短めの期間でいろいろな研究環境・テーマ・研究者に接し、将来自分が独立したときにオリジナルのテーマで世界と勝負できるよう経験を積むのです。学部から博士まで、そしてその先のポスドクも同じラボで、だったら、いかにその研究室が素晴らしくても、狭い視野しか持たないダメ研究者にしかなり得ません。

学部→修士のタイミングでラボを変更するのはわりとよくあることですが、逆に修士→博士は少ないです。これは正解でもあり不正解でもあります。少し補足説明します。学習効率を考えてみましょう。どんなラボでも最初は大変ですが、石の上にも3年といいますし3年もすればその領域の大抵のことは身についているわけですよね。つまり学部4年の卒業研究で1年間いて、かつ修士2年間いたらちょうど3年、ここあたりがラボを移るタイミングなのです。学部+修士で同じラボにいたとしたら、博士は別のラボに行って新たな視点を持てということです。一方で、学部と修士では違うラボという場合はどうでしょうか? この場合、新しい研究室に修士で入ってから2年ではまだ学び足りないと思います。したがって、修士で新しい研究室に移ったのであれば博士に進学する際に研究室を変えてはいけないということです。

以上をまとめると、タイトルの通りですが学部〜博士号取得までの間に2つの異なる研究室に身を置くというのが、アカデミア研究者を目指す上での鉄則です。研究室を移るタイミングは学部→修士、かもしれないし、修士→博士かもしれません。大事なのは、ハーメルンの笛吹きのごとく何も考えずにみんなと同じではアカデミア研究者にはなれないということです。

ちなみに海外事情として、Harvard Medical Schoolでは大学院で博士号をとるまでの間に全員少なくとも3つのラボを経験することになります。ドイツの名門大学から短期留学で来ていた修士課程の学生も、ドイツでも博士号をとるまで1つのラボしか経験したことがないというのはありえないと言っていました。もし学部から博士までずっと同じラボにいるのが普通だと思っていたら、それは国際的にはかなり異質です。また、指導者の先生も (失礼ながら) 国際的なサイエンスの動向にはかなり疎い方なのでしょう。海外の研究者に知り合いが多ければおのずとそのような話も聞いているはずです。どっちもよくないです。

えっ、今の分野は学部4年で研究を開始して修士卒までの3年では成果が得られない? それならなぜもっと早く研究室に通わせて貰わなかったのですか? 研究者になりたいと強く思っている人は学部のもっと早いころから例えば朝晩や土日など自主的に研究室に通っているものですし、そういうことがないまま今になってしまったのだとしたら今の環境で他の誰よりも負けない努力をしなければならないでしょう。サークル活動などで遊んでいる暇は全くありません。「学部時代と同じ研究室にいくのに修士卒までには何も研究成果がない」のであれば、厳しい言い方ですが自分自身の努力 or 能力不足です。学部4年 + 修士2年で6年も時間があったのに研究成果がないわけですから、ここから博士まで進んでもせいぜい1つの学術論文が出せる程度でしょう。PhDを取るときに論文1本だと、それがトップジャーナルでない限り詰みます。研究だけが人生ではありませんし、他に素晴らしい仕事はたくさんあります。残念ながら日本ではまだまだ博士卒で一般企業に就職するという道が整備されているとは言えないため、選択肢を広げるために修士卒で就職するというルートを本気で考えてください。見切りをつけてアカデミア研究者ではない道に進んだほうがhappyな人生を送れるでしょう。

上の世代の視点から

さて、それではもうちょっと踏み込んでみなさんを評価する上の世代からの視点で語ってみます。まず、研究者になりたいのであればどこかの研究機関に採用されなければいけませんね。採用する側は、「ずーと同じ環境でしかやってきていないけど、この候補者はうちでしかるべきパフォーマンスを発揮してくれるのかな? 全く新しい人間関係に適用できる人なのかな?」というような、懐疑的な見方からスタートします。あるいは、卓越した研究業績があったとしても「特殊なノウハウや設備を持つ〇〇先生の研究室にずっといたからできたのであって、この候補者の力ではないよね。うちに来てどれくらい研究ができるのだろうか?」となるわけです。この点、複数の研究環境を経験している人の場合は違います。環境が変わってもやってきたということ自体が大事な実績なのです。参考までに、冒頭に掲げた学生時代から20年も1つのラボにいた方の場合は任期が切れた時に結局どこの研究機関も採用希望がなく、40代にしてアカデミア研究者とは異なる道にすすみました。この方はCNSやその姉妹誌に筆頭著者・責任著者としていくつか論文を発表していたので研究業績がないというわけではないのですが、それでも (この方が希望するような第一線の研究機関からは) オファーがなかったのです。

また、みなさんが博士号をとって研究者になったら研究をするための予算を自分で取らなければいけません。博士号をとった後に一番最初に出す科研費の募集要項には

「研究活動の質を向上する上で人材流動性の向上が重要な課題であることから、計画調書に「学部卒業以降の研究機関の移動経験の有無」の欄を追加し、移動状況を確認の上、対象者を選定することとします。」

と明記されています。つまり研究機関の移動経験がない (or 少ない) 人は相応のペナルティーを課すということです。

今のような学際的な時代だからこそ流動的にいろいろなところで研究を経験していくのが大事なのです。これからを生きるみなさんは、間違っても一昔前のような同じラボでずっとというスタンスではいけません。

ほとんどの学生たちは自分のキャリアすらきちんと考えていないので安易に現状維持を選びますしそういう人が研究者になれる確率はほぼ0%です。この記事を読んでくださった学生さんにはアカデミア研究者のキャリア形成における鉄則をお伝えしました。少なくともうちのラボでは半年ごとに大事な個別面談をしており、フルタイムで研究をして2年をすぎた最初の個別面談ではキャリアを考えるとそろそろ他のラボへ転出の準備を始めたらどうかと当研究室の若手研究者・学生さん達には言っています。あとはご自身でご判断ください。