この記事はConnecting the dotsの第2話 (清水の研修医時代) です。第1話 (清水の学部生時代) はこちら

「研究者志望の方を採用する当院にとってのメリットを教えて下さい」

2011年8月、第一志望であった岩手県立中部病院の採用面接で面接官の先生の1人から出た質問だ。この病院を第一志望にしたのは、遡ること5ヶ月前の東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方に微力ながらほんの少しでも恩返ししたい (清水は6年間の医学教育を東北大学で受けている)ということ、岩手・宮城・山形・福島県を代表する中核病院をいろいろ見学する中で各科が揃っていて救急車を断らず (周りに大きな病院がないので) 、そして病院が小さすぎず大きすぎずスタッフの方々のフットワークが軽くかつアットホームだったことなどが大きな理由だ。

医師の世界の就活はあまり世間には知られていないと思うが、臨床研修が必修化された2004年以降、研修をしないと医師免許をとってもただの紙切れになってしまうので昨今はほぼ全員が卒業後に初期研修を行う。学部6年生が複数の病院に応募し、面接などの採用試験を受けるのだ。

採用面接であれば当然ながら将来展望も聞かれる。清水は学部生時代のエピソードにも書いた通りもとから研究者志望であり、2年間の初期研修後はすぐに基礎系の大学院に進むつもりであった。それに対する質問が冒頭のセリフというわけだ。特に地方の病院は人手不足であり、病院として医師を育成しても地域医療に貢献せずすぐどこかに行ってしまうのは困るというのが実情だろう。少しは病院や地域に貢献してくれそうな学生を採用したいのだ。

少し厳しい質問ではあったが、あらかじめ想定して準備していた質問でもあり回答に納得してもらえた。最終的にその年採用の8人の研修医の1人に選んでいただいた。

採用内定をもらっても、医師免許を取らなければ当然ながら研修医になれない。就活の次は国試勉強だ。

医師国家試験の合格率は90%もあり、世間的には簡単な試験だと思われている。しかし実際には大きな間違いである。医師国家試験を受けるためには医学部を卒業しなければならず、大学入試から始まり、全ての科目に合格して (医学科は全部必修科目なので1つでも落とすと留年する)、総まとめである卒業試験もクリアした人のみが受験する。さらに、「普通」は国家試験に向けて大学受験の頃のように半年以上前から1日10時間など勉強するので、合格率が高いのはそのためである。

しかし清水は「普通」ではなかった。国家試験の勉強はそこそこに、当時通っていたラボで研究をしていたのである。もちろん国家試験の当日 (当時は3日制だった) も、朝一で研究をして、仙台市内の国家試験会場に向かい、そして夜はまた研究をするスタンスだった。いろいろな人に心配していただいたが、それでもなんとか (?) 合格することができた。医学科では4年の時点で一種の「医師仮免許」とも言える試験 (CBT) を受けるのだが、その際は学年100人の中で1桁の順位だった。追い込み量が人より少なくても合格できたのは、4年生までの蓄積もあっただろう。

6年間住んだ仙台を離れ岩手県・北上市での新しい生活が始まった。特に最初の2,3ヶ月は自主的に毎朝病棟の受け持ち患者の採血をしに行っていたのだが、患者さんに朝ごはんが提供される前までに全患者 (何十人もいる) の採血を終えないといけないので病院には朝5時台に到着していた。また、業務が終わった後もいろいろな調べ物も含め21時頃まで残って作業をしていた。右も左もわからない状態から始まりまた5-21時の1日16時間生活で肉体的には大変なこともあった。家に戻った後も病棟や救急からの問い合わせは研修医が1st call担当だったため一晩で10回以上電話が来たこともあるし、休日も常に電話をもってすぐに病院に駆けつけられるような場所にいる必要があった

2012.4.1 同期の研修医と。後列向かって右から2人目が清水

しかしスタッフの方々は非常に親切な方が多く、同期や先輩・後輩の研修医は大きな心の支えになった。また自分自身も日々成長を感じられる病院だったため精神面での負担はほとんど感じなかった。

22時ころに家に戻ってきて欠かさずやっていたのが、生命科学やデータ科学の勉強である。バイオインフォマティクス学会が制度として始めたバイオインフォマティクス認定技術者試験を受けたのはこの頃だ。また、毎週火曜日の午前7時から開かれる病院の勉強会で臨床統計のミニコースをやっていたので統計関連の勉強もしていた。この研修医の頃に読んだ印象的な論文は2つあり、1つが2012年にHintonらが発表した畳み込みニューラルネットワークの論文だった。AI自体は学部生の頃にもいくつかソフトを発表したことがあったが、当時のAIとしては下火だったニューラルネットワークに再度スポットライトを当てたこの論文には衝撃を受けた。このちょうど10年後、AIを看板の1つとして独立するとは不思議なめぐり合わせである。もう1つの印象的な論文は中山敬一先生の研究室からCancer Cell誌に発表された論文で、白血病の根治療法を目指した細胞周期研究の論文であった。中山先生の本は学部生時代にたまたま手にとっており、「あの本の先生か」と驚いた。

2013年4月、研修医2年目になり、大学院進学先候補としていくつか研究室をリストアップした。その中の1つが学部生の頃から気になっていた中山研である。そこで中山先生にメールを送ってみると、午前3時ころに返信をいただいた。

中山研を訪問したのは5月のゴールデンウィーク明けの土曜日だった。土曜日午前は病院業務があるため午後の飛行機で岩手から福岡に移動し、その日の夜に中山先生とポスドクの武石先生、当時大学院生だった沖田先生に博多の居酒屋でいろいろなお話を聞かせていただいた。非常に刺激に溢れた2時間だった

その翌日、日曜日に研究室を訪問し中山先生に面談をしていただいたが、中山先生のお話はもちろん、日曜日にも関わらずたくさんの方々が研究に専念されていたのは驚きだった。中山先生の話では24時間365日ラボの明かりが消えることはないとのこと。この時には将来的にはドライに重きを置く研究をしようと思っていたが、自分では学ぶことができない実験ベースの生命科学研究を大学院では集中的に身につけたいと思っていた。ここは絶好の環境のように感じた。岩手に戻る飛行機に乗ったときには、もう中山先生にお世話になろうと思っていた

研修医時代の記事なのに研究の話が多くなってしまったが、もちろんきちんと研修もしていた (と思う)。

例えば病院や地域代表の研修医が集まってスキルを競う謎の全国大会 (?) に岩手県勢2人のうちの1人として派遣されたし、がん治療を自主的に勉強してがん治療認定医試験にも合格した。

救急外来の症例は全例メモを残しているが、2年間で担当したのは軽く1000症例を超えている。

岩手県立中部病院だけでなく、岩手と秋田の県境にあるさわうち村で地域医療に1ヶ月だけだが従事したり、盛岡の岩手県立中央病院で病理診断科でも研修をした。

大会の表彰式。各病院代表の研修医と。後列向かって一番左が清水

研修病院の(当時の)病院長は北村道彦先生で、本来は非常にお忙しい先生であるはずだが、研修医のことも非常によく見て気遣ってくださる先生だった。北村先生の影響もいろいろ受けているのだが、清水研にも続いていることを3つだけ紹介したい。

まず1つ目は、フラットな組織を目指されていたことだ。北村先生はたくさんの医局員がいる国立大学外科のNo.2である准教授のポストから病院長になった先生だが、しばしば外科にありがちな縦社会ではなくフラットでフットワークの軽い病院を目指していた。研修医の朝7時の勉強会にも皆勤で、常に研修医や看護師・事務職員等にも優しく声をかける先生だった。中部病院のようなフラットな研究室にしたいと今でも思っている。

2つ目は教育を重視している先生だということだ。「自分が1年かけてできるようになったことは、後輩は11ヶ月でできるように指導すること」という趣旨のお話を病院スタッフに事あるごとにおっしゃっていた。苦労して身につける過程で一種のコツも分かり、それを後輩に教える過程で自分自身の新たな学びになりチームとしても総合力がアップするということである。北村先生のこの訓示は、清水研でもメンバーに加わる人には初日に話をしている。

3つ目はミッション・ステートメントである。これは研修医修了式でお世話になった病院職員の前で今後の抱負について5点ほど宣言をする会だ。清水研ではメールでの問い合わせの際に簡易的に「今後5年の展望」を記載してもらっているし、入学時には北村先生方式でミッション・ステートメントを述べてもらっている。自分の理想とする目標を自分の中で整理するいいきっかけになるし、毎日目に入るようにすればそれに向けて行動もするし、人前で発表することでいい意味での強制力も働く。ちなみに清水の5つのミッション・ステートメントのうちの2番目は (5年後の) 「32才でアメリカ研究留学をする」、3番目は (10年後の) 「37才までに国立大学の基礎系の教授になって研究室をスタートさせる」であった。あの時のミッション・ステートメントを机の前に貼って毎日見ていたからか、幸運にも1~3番目はいずれも達成できた。現在は4番目の50才までの目標と、5番目の65才までの目標達成に向け挑戦中だ。

忘年会での出し物の記念写真。ドラえもんが壊れてしまい、のび太が改心して研究者になりドラえもんを直すという実際にあるストーリーを改変した寸劇をしている。のび太役が清水でドラえもん役が院長の北村先生。
研修医卒業目前の2014年春、同期・後輩との写真。前列中央、ケーキの前にいるのが清水。今はみんなそれぞれの診療科で専門医・指導医として活躍している。

しばしば医学生から「研究者になりたいのですが、研修をどうしようか迷っています」という相談を受ける。研修医時代に読んだ論文で思い出し2年目に訪問してこの後に清水の師匠になる九大・中山敬一教授は「研修をするのは最悪の選択」とホームページに書いていたが、相談を受けたときには迷わず「絶対に研修をしてから大学院に入ったほうがいい」と答えるようにしている。確かに研修をしなければ2年若く研究開始できるが、研究開始して5年もたてば誤差範囲にすぎない。たった2年のハンデを挽回できるような努力ができないなら、研修をせずに2年早く研究の道に進んでも大して何も成果が出ないだろう。ホームページの他の文章にもいくつか書いているが、研究者としてキャリアを築くには差別化が大事になる。臨床現場を身を持って体感することは、将来的にresearch questionを設定する上でも大きな武器となってくれる

岩手県立中部病院時代は非常に多くのことを学んだ濃密な2年間だった。