アカデミア研究者を目指すなら学生の間に2つの研究室に所属しよう

学生視点から

世の中には「研究者になりたい」という学生がたくさんいますが、そういう人たちの中で真剣に将来を考えて行動をしている人があまり多くないのが不思議でなりません。なぜ安易に学部の頃の大学・研究室と同じところに修士で進み、そして修士と同じ研究室に博士でも進むのですか? いや、これは学生だけの問題ではないですね。博士の頃と同じラボにずっと居座っているご意見番の方とかもいますよね。

さて、それではこれの何が問題なのでしょう? まず、そもそも大学入試で入った大学がしかるべき研究ができる大学なのかということがあります。日本には700近い大学がありますが、その中で世界に伍する研究大学はほんの一握りでしょう。また、そういう大学の中でも研究教育体制がしっかりとしているところは一部のラボにとどまると思います。自分が希望したトップレベルの大学に入っており、かつ自分の第一希望だった素晴らしい研究室に配属されたなら、まずはOKです。でもそうでないなら、例えば「自分の学力に見合う大学を選んだ」とか「第3志望の研究室だった」とかなら、選択肢は2つだけです。1つは理想とする研究者になるために大学院進学でリベンジするのか、それともアカデミア研究者になることを諦めるかです。もし何かに妥協して大学・研究室に所属したのだとしたら、そこで博士までとっても研究者としてやっていけることはないでしょう (少なくとも私はそのような事例を知りません)。アカデミア研究者を目指すのなら、学部→修士、あるいは修士→博士のタイミングで外部の研究室を受けるしかないのです。

それでは次に、最初から理想とする研究大学に入学して、希望のラボに配属されて、一見順風満帆な場合を考えてみます。一昔前の研究者は特定の専門領域のテーマを突き詰めていくスタンスでしたのでずっと特定の研究室に所属していたという先生も多くいらっしゃいます。しかし今はどうですか。Nature, Scienceといったトップジャーナルには、非常に学際的な複数のアプローチを統合した研究しか掲載されていないでしょう? 今の時代ですらそうですから、これからの時代に活躍するであろうみなさんは、ある特定の (狭い) 専門領域にはとても詳しいが他の領域は全然というのではまず研究者としては生き残れないわけです。それなら異分野融合のコラボレーション、つまりたくさんのチームと共同研究すればいいという考えもありますが、そのような成功事例はかなり少ないです。全く異なる分野の人たちが、全くのりしろがない状態で共同研究しても噛み合わないのです。お互いにのりしろがあるからこそ、相手の先生のお話も (専門ではないが) ある程度理解できる、こういうものです。そして先程も申し上げたように上の世代の先生たちは専門特化する時代でしたからそのようなのりしろを担うのはこれからの若い世代の人たちです。つまり若い人がA研究室にもB研究室にも出入りしているからこそ共同研究が上手く回る、これがアメリカの典型的なやり方です。

いろいろなことを学んできた人が、ある時から専門特化することはいくらでもできるわけですが、逆に1つのラボで何かに専門特化してきた人が、他の領域を取り込むのは膨大なエネルギーを必要とします。吸収力が高くかつ時間のある学生時代こそいろいろなことを学んでほしいと思っています。博士号をとるまでの間に、2つの研究室に所属する。そして博士号をとったら3つ目の新しい研究室 (できれば海外) に移る。これがアカデミア研究者として今も活躍している人たちの典型的なキャリアです。その後も、ポスドクの間は3年くらいでラボを移る必要があります。例えば日本の学術振興会特別研究員 (PD) でも3年間の支援ですし、アメリカでもポスドクは3年前後で次の場所に移動します。駆け出しの頃はこのようにある程度短めの期間でいろいろな研究環境・テーマ・研究者に接し、将来自分が独立したときにオリジナルのテーマで世界と勝負できるよう経験を積むのです。学部から博士まで、そしてその先のポスドクも同じラボで、だったら、いかにその研究室が素晴らしくても、固まった視野しか持たない時代に逆行する研究者になってしまいます。

学部→修士のタイミングでラボを変更するのはわりとよくあることですが、逆に修士→博士は少ないです。これは正解でもあり不正解でもあります。少し補足説明します。学習効率を考えてみましょう。どんなラボでも最初は大変ですが、石の上にも3年といいますし3年もすればその領域の大抵のことは身についているわけですよね。つまり学部4年の卒業研究で1年間いて、かつ修士2年間いたらちょうど3年、ここあたりがラボを移るタイミングなのです。学部+修士で同じラボにいたとしたら、博士は別のラボに行って新たな視点を持てということです。一方で、学部と修士では違うラボという場合はどうでしょうか? この場合、新しい研究室に修士で入ってから2年ではまだ学び足りないと思います。したがって、修士で新しい研究室に移ったのであれば博士に進学する際に研究室を変えてはいけないということです。また、例えばもし学部1年生の頃から自主的に研究室に出入りさせていただいてかなりcommitしていたのなら、修士に行くときにラボを変えるというのもいいですね。

以上をまとめると、タイトルの通りですが学部〜博士号取得までの間に2つの異なる研究室に身を置くというのが、アカデミア研究者を目指す上での鉄則です。研究室を移るタイミングは学部→修士、かもしれないし、修士→博士かもしれません。大事なのは、ハーメルンの笛吹きのごとく何も考えずにみんなと同じではアカデミア研究者は厳しいでしょう

ちなみに海外事情として、Harvard Medical Schoolでは大学院で博士号をとるまでの間に全員少なくとも3つのラボを経験することになります。ドイツの名門大学から短期留学で来ていた修士課程の学生も、ドイツでも博士号をとるまで1つのラボしか経験したことがないというのはありえないと言っていました。もし学部から博士までずっと同じラボにいるのが普通だと思っていたら、それは国際的にはかなり異質です。複数の研究室をまたぐことで、それらの人的ネットワークも構築できます。欧米に比べて最近の日本の研究力が落ちているのはいろいろな要素がありますが、私はこういった要因もかなり大きいと思っています。

上の世代の視点から

さて、それではもうちょっと踏み込んでみなさんを評価する上の世代からの視点で語ってみます。まず、研究者になりたいのであればどこかの研究機関に採用されなければいけませんね。採用する側は、「ずーと同じ環境でしかやってきていないけど、この候補者はうちでしかるべきパフォーマンスを発揮してくれるのかな? 全く新しい人間関係に適用できる人なのかな?」というような、やや懐疑的な見方からスタートするかもしれませんね。あるいは、卓越した研究業績があったとしても「特殊なノウハウや設備を持つ〇〇先生の研究室にずっといたからできたのであって、この候補者の力ではないよね。うちに来てどれくらい研究ができるのだろうか?」となるわけです。転職の面談もそうですが、「うちに来てからこの方は何をどれくらい貢献してくれるのか」がすべてであり、以前の環境での武勇伝を知りたいわけではないです。この点、複数の研究環境を経験している人の場合は違います。環境が変わってもしっかりやってきたということ自体が大事な実績になるわけです。

また、みなさんが博士号をとって研究者になったら研究をするための予算を自分で取らなければいけません。博士号をとった後に一番最初に出す科研費の募集要項には

「研究活動の質を向上する上で人材流動性の向上が重要な課題であることから、計画調書に「学部卒業以降の研究機関の移動経験の有無」の欄を追加し、移動状況を確認の上、対象者を選定することとします。」

と明記されています。つまり研究機関の移動経験がない (or 少ない) 人は相応のペナルティーを課すということです。このペナルティーはごく最近追加されましたので年齢が上の先生はご存知ないかもしれませんが、みなさんが博士を取るまで知らないのは大きな問題になります。自分で研究費がとれないと自分の研究ができませんからね。この記事で申し上げたことはあくまで個人的な見解ではありますが、でも業界の考え方はそのように変わりつつあるということはこういう点からもお分かりいただけるかと思います。

今のような学際的な時代だからこそ流動的にいろいろなところで研究を経験していくのが大事なのです。これからを生きるみなさんは、(あくまで個人的な見解ですが、語弊を恐れずにいえば) 間違っても一昔前のような同じラボでずっとというスタンスではいけません。

ほとんどの学生たちは自分のキャリアを客観的に考えられておらず安易に現状維持を選びますが、そういう時代のトレンドを捉えられない安易な現状維持の方が希望を叶えられる可能性は古今東西、極めて低いです。この記事を読んでくださった方にだけ変化が激しい今の時代のアカデミア研究者のキャリア形成における鉄則をこっそりお伝えしました。少なくともうちのラボでは半年ごとに大事な個別面談をしており、フルタイムで研究をして2年をすぎた最初の個別面談ではキャリアを考えるとそろそろ他のラボへ転出の準備を始めたらどうかと当研究室の若手研究者・学生さん達には言っています。あとはご自身でご判断ください。