医学生・研修医のキャリアパス

※ この記事は現在書きかけですが、医学生さんや研修医の先生方に聞かれることの多い相談について清水なりの回答をまとめています。Q&Aは随時追加します。また、みなさんのQuestionを大募集しています。お名前・所属を明記した上で回答してほしい質問をメールでお寄せください。回答をお約束できませんし、いつころに回答できるかも分かりませんが、よくあるご相談には私見をこのページに追記していきます。

Q1: 臨床と基礎研究のそれぞれの良さは何ですか?

清水は2年間の初期研修 (+非常勤の外勤) しか臨床経験がありませんが、物事の本質だけを見極めるなら、それでも十分な時間でしょう。基礎も臨床もどちらも一生を賭けるに値する素晴らしい職業である」、ただしどちらか一方しか選ぶことができない」というのが結論です。そして人それぞれに適性があって、基礎研究に向いている人、臨床医療に向いている人がいます。

臨床の本質は奉仕です。そして最も大切な社会的使命は、言うまでもなく病気で苦しむ人々を救うことにあります。臨床医にとって、創造性はあまり必要ではありません。例えば、普通には認められていないような薬を試しに投与したりする内科医や、自分の独創による思い付きで術式を変えてみたりしたがる外科医にがいたとしたら大迷惑でしょう。臨床における創造性は一種の人体実験であって、行ってはならないものです。ご存知の通り、臨床の現場ではかなりの事項がガイドライン化、語弊を恐れずにいえばマニュアル化されています。そのマニュアルを習得し目の前の患者に休日夜間関係なく適用できる高度なスキル・体力が求められます。彼らの大多数にとって報酬とか名誉とかは最も大切なファクターではなく、臨床医にとって最大の喜びは自分の患者が元気になって明るい笑顔を取り戻すことであり、彼らを突き動かすのは自分が人の役に立ったという満足感なのです。そして、それは奉仕の精神とそのものといえます。医療とは人類のための奉仕であるということは、ヒポクラテスの時代から変わらぬ真理です。

一方、基礎研究の本質は創造です。基礎研究においては他人と同じことをしても全く評価されません。自分なりのテーマ、自分なりの発見が必要です。創造性を発揮して新しい発見をするということは、報酬・名誉といった俗界を超越した、もの凄い喜びがあります。基礎研究は目の前の患者に直ちに使えるものではありませんが、その社会的な貢献というものは、時間がたって初めてわかるものです。臨床は今の患者を治すものですが、基礎研究は未来の患者を治す投資といえます。今の医療をするのか、未来を見据えているのか、軸足が大きく異なるのです。臨床は患者ファーストで自分の時間を合わせる必要がありますが、基礎研究者は好きな時間に来て、好きなだけ研究をして、好きな時間に帰ります。仮に一日3時間しか働かなくても、人が唸るような業績をあげれば誰も文句を言いません。結果が全て」のこの世界のルールは単純明快で、臨床のような多様な評価基準 (医師としてのスキル、コメディカル・患者からの評判、上司からの査定、そして時には医局政治) があるわけではありません。

美術館に行ったことはありますか? 画家が描いたそれぞれ個性的な絵が展示されていますよね。学歴や医師免許が何の役にも立たない実力が全ての厳しい世界であるという点では基礎研究は画家やプロスポーツ選手と良く似ています。画家は独自の創造性とその内容が評価される世界であり、そこに模倣はありません。絵が売れなければ食うにも困りますが、一発当てれば後生にまで残る作品と名声が得られます。研究者は画家と同じです。それに対して臨床医はガイドライン遵守が求められる、いわば模倣が極めて大事な世界です。臨床医を例えれば、画家ではなく似顔絵描きです。似顔絵も多少のデフォルメはあってもいいのかもしれませんが、基本的に依頼者に似せて描くわけです。その点ではオリジナル作というよりは模倣作でしょう。似顔絵書きは画家と異なり確実に収入は得られます。臨床医は似顔絵描きで、基礎研究者は画家。どちらを好むのかは人それぞれだと思いますが、短い一度きりの人生、オリジナル作の本当の絵を描いてみませんか?

こんなことを言うと、医局に所属する先生からは「研究だってやっている」と言われます。そりゃ大学に所属しているのであれば研究もやっていらっしゃるでしょう。しかしよく考えてください。真面目に診療に取り組んでいる医師が研究に割くことのできる時間は本当に少ないです。週に1~2日あれば良い方でしょう。研究をしているときに自分の受け持ちの患者が急変すれば、すぐに駆けつけないといけません。そんな限定された時間でできる研究には、やはり限界があります。失礼ながらどうしてもレベルが低めで、他人の研究の焼き直し的なものになってしまうのは避けられません。研究者界隈では、そういう研究を称した「鉄銅実験」という言葉があります。鉄でこうだったから、次は銅でやってみましょう、的なもので、このような研究は単に論文のための研究でしかありません。もちろん未来の医療を創ることなどできません。私も臨床の大学院生の学位審査をしますが、そのような博士論文のあまりの多さに驚きます。もちろん、中には素晴らしい研究をしている先生もいます。しかしそのほとんどは、その医局のトップの教授がIF 2桁雑誌に論文をたくさん書くすごい先生だとか、その医局が開発した素晴らしいテクニックを使っているだけであって、それはつまり他人の力です。外から見たら、すごいのは上の先生であってそこで手足として動いている医師ではありません。医局を離れて他大学で一人で1から始めても大丈夫というのが本当の研究力であり、慣れ親しんだ全てが揃った医局の環境で同じようなテーマの研究しかできないのであれば研究室主宰者にならない限り研究で表舞台にたつことはありません。臨床をしながら「研究もやっている」という先生に聞きたいのですが、それではほとんどの時間研究をしている医師が週に1日だけ外勤で診療をやっているという場合、その研究医の診療能力は臨床のプロから見て十分だと思いますか? 例えば卒後7年目の研究医が、卒後7年目の臨床医と同等の診療能力を持っているでしょうか? いやそれは無理だろ、というのが大方の感覚でしょう。この逆、つまりスキマ時間に研究をやっているだけなのに研究もできると思いこんでいる臨床の先生には驚きます。医局と関連病院しか知らない井の中の蛙になってはいけません。基礎研究は無差別級ですので、理学部や工学部等の多様な出身者がいます。彼らは少なくとも学部4年からみっちり基礎研究に従事し、修士・博士課程を経て学位をとります。彼らには外勤というものがありませんから、その間も必死に研究しているのです。そんな研究のプロに、付け焼きのなんちゃって研究でかなうはずがありません。草野球チームがプロ野球選手に挑むようなものです。基礎研究と臨床研究は研究者層の厚さに雲泥の差があります

研究も臨床もしたいという学生に、なぜ臨床をしたいのかと問うと、臨床をすることで大事なquestionを見つけることができさらに自分で患者さんの検体を採取して研究ができるから、のような答えをかなりの確率で言われます。私がよく理解できないのは、そういう学生はなぜ自分で全てを行うつもりなのかということです。研究は一人で行うものではありません。そもそも医師免許をとって、さらにたくさんの臨床活動をした挙げ句に自分が初めて発見するquestionなんて重箱の隅をつついた研究課題である可能性が高いと思いますが、もしそれが大事なのであれば他の臨床医の先生方も同様に課題だと感じているはずです。そういった臨床の先生方と一緒に共同研究をすればいいだけなのではないでしょうか? 自分で検体を集められるという意見も同様です。清水はこれまで数多くの診療科の先生と共同研究をさせていただき、各科の臨床検体を使った研究も発表していますが、清水自身が採取した検体は1つもありません。必要なら臨床検体をもつ先生方と共同研究をさせていただければいいだけであり、研究を本業にしたいのにそのためだけに追加で何年も臨床に費やすのはバカげています。

初めに言ったように、臨床も基礎研究もどちらも打ち込めば素晴らしい世界です。しかしどちらかに打ち込まなければ中途半端な人生で終わってしまいます。本当は私も基礎研究だけでなく臨床もしてみたいですが、残念ながら人生は一度きり。人生をかけて社会に奉仕をしたいのか創造をしたいのか、どちらかに決めて全力投球してください。

Q2. XX科の病気の研究をしたいのですが、基礎に行ったらできなくなるのが嫌です

これは学部生にありがちな質問ですね。学部2年頃に習う基礎医学のイメージしかないなら無理もありません。結論からいうと、「基礎系」の教室でも病気に関するたくさんの研究をやっています。所属大学の基礎系の先生方が出している論文をよく見てください。それに博士号をとったらもう何をやっても構いません。XX科の病気を仮に他のメンバーがやっていなくても、その頃にはもうあなたは「博士」なのです、十分に独り立ちしてその病気の研究を行う力はついていますし、医学部を卒業したならその診療科の先生と討論させていただける基礎的な臨床の知識もあるはずです。必要に応じて診療の先生方からのフィードバックを受けながら、共同研究ベースでその病気の研究を進めていくことができます

反対に臨床に行ったらどうなると思いますか?学部生さんは知らないかと思いますが、医局は今なお大きな力を持っており、医局人事はずっと上の立場の先生が決めています。100名を超える医局員たちを、誰を大学病院において、誰をどこの関連病院に出向させるかというのを決めているのです。あなたが臨床の医局に入ったら、その巨大なピラミッドの最底辺からスタートになり、医局人事を決めるような立場になるまで25年くらいはかかるでしょう。その間は自分の意思とは関係なく、上から命じられるがままに各地を転々とします。大学病院にいる間は多少の研究をすることもできるでしょうが、外の関連病院に出向を命じられたら、次の数年間はまず病気の研究はできません。実験設備が近くにある病院なんて大学病院の他には数える程度しかないのです。

したがってXX科の病気の研究をしたいから臨床 (XX科) に進むというのは最悪の選択です。あなたに素晴らしい研究能力があって、かつ同期や先輩を差し置いてエライ先生のお気に入りになれるだけの人柄等も兼ね備えていれば、大学に残らせてもらって好きな研究ができるかもしれませんが、そうではないケースでは博士号取得後に「お礼奉公」という名目で関連病院に出向したまま大学には戻れません。博士号をとって一人前の研究者として認められたタイミングで、もう研究をさせてもらえなくなるのです。大学の臨床系の医局にはその「近隣」での医療を支えるという重要なミッションがありますので、研究をしたい医師全員を大学に残すことなどできないのです。また、研究に強い大学であればあるほどカバーする医療圏も広くなる傾向にあり、例えば清水の母校である東北大学の場合は北は道東 (北海道の東側、例えば帯広など) から南は茨城北部までが勢力範囲です。旧帝国大学の医局に入ったら博士号取得後はこれくらいの範囲で教授や医局長の命令にしたがって点々とし、各地の病院で患者さんの診療に従事します。ずっと仙台に残って大学で研究するというキャリアの医師は相当珍しいと言えます。

Q1への回答と同じになりますが、臨床の本質は奉仕であり研究の本質は創造です。あなたがXX科の病気で悩む今の患者さんに奉仕したいのであればぜひ臨床に進んで診療のプロになっていただきたいですし、XX科の病気で悩む患者さんを将来的に助けられるように研究したいということであれば基礎系に進んで病気の研究に100%の時間を割くことをオススメします

Q3: 将来は研究者になりたいのですが、学部卒業後に初期研修はした方がいいのか迷っています

この質問も多いですね。結論からいいますと、「迷っているなら初期研修はした方がよい」、ただし2つの条件がつきます。1)「2年間と期間を決めて、かつ遊びほうけてはいけない」2) 「大学院に入ったら、圧倒的なハンデを取り戻す強い覚悟がある」です。

迷っているというのは、あなたにとってどちらの選択肢も同じくらい魅力的であるということです。それならばどっちにせよ自分で納得できる魅力があるわけですから、できる限り「つぶしの効く」選択をしておくのが長い人生を考えれば賢明だと思います。ですので「迷っているなら初期研修はした方がよい」と私は答えています。

それでは研修医生活で身につくことのいったい何が研究者になるために有用なのでしょうか? 実は、研修医として身につくものの中で研究者にも有用なことはほとんどありません。研修医は朝一番に行って一通り患者さんの回診をしたあと、カルテや種々の伝票を書き、検査や手術への立ち会いをし、検査や手術へ立ち会い、救急車対応、検査結果の確認や患者さんへの説明などを行い、夜はカンファレンス発表の準備等々を時に食事をする暇もないほど忙しく働くかなければなりません。物事をじっくり考える暇もなく働き、「自分は一人の医師として頑張って働いている」という意識に充実感を覚えることでしょう。でも語弊を恐れずにいいますが、これは頭を空っぽにして働いている人が陥りやすい自己陶酔であって、種々の伝票を書いたり手術をしたり患者さんの対応をすることが研究者に全く不要なスキルであることは自明でしょう。医学知識は極めて重要ですが、それは医師免許を取るまでに身につけることであり、初期研修を2年するというのは研究者を目指す上では海外旅行に2年遊びに行っているようなものです。別の言葉で例えれば、君達が野球選手を目指しているのに、「2~3年テニスもしてみたい」と言ってテニスコートで球拾いをしているようなものです。その間にも君達のライバルは野球の練習をしてどんどん野球がうまくなっていきます。研修医をする唯一のメリットは、バイトができるようになるので収入を見込めるようになることです。そういう経済的な安定と引き換えに、頭が柔らかい若い2年を失うことになるのですが、そこのトレードオフは人それぞれでしょう。この点を少しでも克服するために、清水は研修医時代にも常にCNSはじめ各誌に目を通し、「これは」と思う論文については (市中病院だと論文をダウンロードできないので) まだ学部生をやっていた後輩たちに毎週のようにPDFを送付してもらっていました。研修医はどの病院も多忙だと思いますが、それに加えて研究との接点を意図的に作る鉄の意志が必要です。

1つ強調しておきたいのは、「今すぐ結論を出すのではなく、2~3年よく考えてから」といった結論を先送りしたいという甘えは許されないということです。つまり、研修をする前から臨床をする期間を決めており、それが終わったら研究に行くという強い意志を持っている必要があるのです。そうではなく、「研修医期間にもっとよく考えて決めたい」、つまり既に6年間も時間をかけてきて他の学部出身者はもうプロとしての第一歩を歩みだしているときに「もう少し考えてから」と進路を決められないのだとしたら、それは君の怠慢です。医学部の6年間の間に真剣に自分の将来について考えてこなかったからです。6年間もモラトリアムを過ごしてきて、今また「また後で」と結論を先延ばしにするつもりですか?   Q1にも書いたとおり、「医療者」と「医学者」はどちらか片方しか選べません。はっきりと研究者になりたいと強い意志がないのに、大学院に30才になって入ったところで百戦錬磨の同級生にはまず手も足もでないでしょう。彼らは30才では学位を持つポスドクとして研究にストイックに打ち込んでいるのですよ。

私の経験から言って、「とりあえず2~3年研修医をしてから、基礎研究にいくかどうか考えてみたい」と言って研修医になって、実際に基礎に帰ってきた人は皆無です。それはなぜだろうかと考えてみたのですが、きっと甘やかされてしまって闘争心を失ってしまうのでしょう。看護師さんや患者さんからは「先生」とチヤホヤされて、何となく偉くなったような気がします。そのような生活を2~3年もすると、もともとがモラトリアム的に「とりあえず研修」をしているわけですので、医師免許がただの紙切れになり実力が全ての厳しい世界には戻ってこれないのです。研究というのは世界を相手にした闘いです。それはやりがいがあり、一生を賭けるに値するだけのものがあります。しかしその世界に飛び込むためには、ある程度の勇気が必要なことも事実です。迷った挙げ句に一度猶予期間をおいてしまうと、もうその勇気が出てこなくなります。

2つ目の条件は「圧倒的ハンデ」に関するものです。科学者に出身学部の壁はありません。いったん科学者を目指した瞬間から、ライバルは医学部出身者だけではなく、理・薬・農・工学部出身者との競争になります。彼らの卒業は22歳で、大学4年生で研究室に配属されるところも多いので、実質21歳で研究の道に入ることになります。それに対して、ご存知の通り研修をしてから大学院に入学する場合はどんなに若くても26才ですね。入学時点ですでに5年ビハインドからスタートです。また、大学院入学後に週一回バイトに行くとすると年間約50日、大学院4年間で約200日の時間を無駄にします。これは驚くなかれ10ヶ月分にも相当します。つまり研究開始が5年も遅い上に、博士課程は実質8割 (4年ではなく3年2ヶ月) しかないのです。それでいて博士号をとり、ポスドク数年した時点では彼らと同等以上の実績がないとその先の研究者としての未来はありません。そのハンデは決して挽回不可能なものではありませんが、かなり大きいことは事実です。ですので相当大きいハンデを背負って戦うことになることはしっかりと理解しておく必要があります。

ちなみに清水の場合、卒業後は「研究」「臨床」という全く異なる2つの進路があること、そして研修をしてから研究に行く場合にはそのような大きなハンデがあることを学部1年生のときに認識しました。ですので学部2年生の頃からあらかじめ少しでもハンデを埋めておくために基礎研究室に土日含めて毎日出入りさせていただき研究に打ち込んでいました。学部生時代には研究にざっと3000時間くらい費やしていると思います (この点はQ3で解説します)。また、大学院に入ってからは数年のハンデがあることを常に意識していました。私の考えでは、ハンデがあったから理工系のライバルに追いつけない、その程度の努力・能力ならば、仮にハンデがなかったとしても大した業績をあげられないと思っています。

Q3の冒頭にかかげた、「迷っているなら初期研修はした方がよい」、「2年間と期間を決めて、かつ遊びほうけてはいけない」、「大学院に入ったら、圧倒的なハンデを取り戻す強い覚悟がある」についてご理解いただけたでしょうか?

Q4. 私は医学生ですが、学生の間に何をしておけばいいでしょうか?

まず最初にやることは、Q1にも書いたとおり卒業後は臨床か基礎研究かの片方しか選べないことをしっかり認識し、そして自分は一生をかけて今の医療へ奉仕をしたいのか未来の医療を創造したいのかどちらなのかをしっかりよく考えることです。

そして学生時代には学生時代にしかできないことがたくさんあるので、その中で優先順位をつけていろいろ全力投球するといいでしょう。一つだけ言っておくと、医学部のクラブ・サークル活動に専念するのは感心しません。理由は2つあります。1つ目は、クラブで取り組むスポーツはあくまでアマチュアであり、趣味の世界にすぎないということです。それでお金を稼いでいくわけではないんですよね? 20代前半の貴重な期間を、ただの趣味に使うなんてもったいないです。2つ目は、医学部内の偏った人しかいない、しかも年が近いメンバーしかいない集まりから学べることは極めて限定的だからです。工学部や文系の人たちも参加できるサークルなら分かりますが、なぜ「身内」しかいない医学部サークルを選ぶのですか? はっきりいって、あなたが「奉仕」を選ぶなら今後どんどん同僚は専門が近い人達になっていきます。入局したらその科を専門とする医師が同僚のほとんどでしょう。学生の今だからこそ、いろいろな分野、いろいろな考えの人と接点を持つべきです。もし大学内に他の学部の人が居ない場合なら、社会人・市民サークルを探すといいと思います。清水もいくつか入っていたことがありますが、本当に多様な人達がいてとても勉強になります。

学生時代にしかまとまった時間が取りにくいが、将来プラスになることは何かを自分でよく考えて、それをやるといいでしょう。最悪なのは、試験勉強に追われて何もしないということです。学校の試験がAAでも何の意味もありません。卒業してから学部時代の成績表を要求されることはほぼありません。大学の教員をやっていてこんなことを書くのもあれですが、ほぼ無価値の大学の試験の成績を上げることよりも自分の将来にとって何が大事かを自分の頭で考えそこに時間を使ってください。これは人によって語学だったり社会経験だったりインターンだったり旅行だったりするでしょう。いろいろactiveに動いてください。

清水の場合は、かなりの時間を基礎研究に使っていました。大学1年の時にはもう研究者志望で固まっていたので、将来的に他学部の人たちと勝負するのは明白です。医学部6年コースでは修士課程がないので、修士2年間分の研究経験を積みたいと思っていました。毎朝7時くらいから1時間、そして放課後も毎日2-3時間研究をしていましたし、土日に関しても両日合わせて10時間はやっていました。試験期間であっても関係なく通わせてもらっていましたし、長期休みも2週間ほどお休みをいただくほかは毎日通っていたので、後で計算すると6年間で3500時間ほど打ち込んだことになります。1日8時間、週5日、50週で計算すると、修士課程2年間では4000時間研究に費やすことになるのでそれには及びませんでしたが、丸2年研究をしたことに準じる研究経験を学部時代に積みました。また、当時深層学習は存在せず、また「データサイエンス」なんて言葉もない時代でしたがまもなくコンピューター解析が医療や生命科学研究の中核に来ると考え工学部の情報学のラボ (当時はそもそも全国的に医学部の中に情報系のラボなどなかったのです) で勉強させていただきましたし、応用情報技術者などの関連する国家資格もとりました。さらに、メインで通っていた研究室以外に複数の研究室の輪読会 (論文勉強会) に出入りさせていただいていたので、学部生時代には合わせて4つの異なる分野の先生方にご指導いただきました。そのご恩に少しでも報いるため、清水も学生を対象にした勉強会を開始して他のラボ等に所属する学生さんも出入り自由にしています。学部生だからこそあちこち出入りできるのであり、これは今しかない特権です。別に医学生全員が研究室に通う必要はありませんが、それぞれが自分のキャリアパスについて早いうちからよく考え、自分に足りないところを見つけて学部時代に本気で自己投資するといいと思います。

Q5: MD-PhDコースや、初期研修医をしながら大学院に通う制度はどうでしょうか?

医学部をいったん休学して、先に大学院に入り、PhDを先にとってから医学部に復学してMD取得をするというMD-PhDコースについてよく聞かれます。私は本来は大学教員として組織が行っている制度を後押ししなければいけない立場ではありますが、私はいつも否定的なコメントしかしていません。はっきりいってMD-PhDで得をするのは大学・教員側だけですのでやめておいた方がいいでしょう。日本の医学部は高学年になればなるほど臨床大事だよね的な雰囲気になっており、低学年の頃は学年の何割かは研究者志望だったのに卒業する際には研究志望は学年でも数える程度しかいません。そんな危機的な状況を打破するため、いわば青田刈りをするのがMD-PhDコースです。大学や教員側としては、優秀な医学生を研究に囲い込むことができとても魅力的な制度であることは事実です。しかし学生側から見るとどうでしょうか? 博士号を若くしてとることはできるでしょう。ただその後が問題です。研究がとても楽しくて成果も出て、このまま研究も続けたいという場合、学部は中退になってしまいます。つまりせっかく苦労して医学部に入ったのにMDを取得できず、それならば他学部卒業者と同じnon-MDとして扱われてしまいます。non-MDとしてこの後も輝かしい業績を次々に出す才能豊かな研究者ならいいのですが、いくら医学部入学していてもMDを持っていないなら他学部出身者との熾烈なレッドオーシャンで戦う必要があります。また、MDがないと経済的にも不利です。もちろん外勤という名のバイトに行くこともできませんし、医学部での教員ポスト獲得を考える上では不利 (同等の実績ならMD持ちの方が医学部では有利) ですので給料の安いポスドク期間はむしろ長くなるでしょう。教員になった後もMDがないと「初任給調整手当」がつかなくなりますし、これはMDをとってから30年ほどの期間、月額最大5万円が上乗せされる仕組みなので、MD-PhDコースに通うことで得られる経済的な援助なんて比較になりません。それではPhDをとってからMDをとればいいと思われるかもしれませんが、研究というのは連続的に行われるものであり、学位をとってばっさりと研究休みというのはまず無理です。また、医学部5年や6年に戻る時には、4学年も下の人たちと一緒になります。彼らは同学年の強い結束があるので、MD-PhDコースで戻ってきた人が溶け込むには一定のエネルギーも必要になるでしょう。また医師国家試験は仲間と協力し合って乗り越えるものであり、そのような友人が少ない状態、孤独に国試に合格するには並々ならぬ努力を必要とします。私の知る限り、MD-PhDコースに進学してPhDを取得後にMDを取る人は、もう研究を諦め臨床に進む人だけです。逆に研究に進む人は、MDを捨ててPhDのみで戦っています。あなたのイメージするMD-PhDコースとは大きく異なるでしょう。

初期研修をしながら大学院に通うコースもありますが、これは臨床医を目指す人にはいいと思います。研究は最小限にして学位をとり、臨床に打ち込めるわけですから。ところが研究者になるにはどうでしょうか?初期研修は甘いものではありません。研修しながら研究なんて、まずほとんど何も進まないでしょう。Q2にも書きましたが、基礎科学者には学部の壁はないので他学部出身者に比べて医学部の学生はかなりビハインドがあります。さらにその上、2年間をほとんどドブに捨て、残った2年ちょっとのみで一人前になるというのはかなり無理があります。彼らは学部4年 + 修士2年間 + 博士4年間、合わせて7年間をひたむきに研究に捧げて博士号をとるのですよ。あなたが初期研修中にやる研究の真似事と、その後2年間の本格的な研究、合わせて2年ちょっとの修行だけで互角に戦えるわけがありません

このように、この両者のコースにはかなり大きな弱点があります。私のオススメは、こういう制度とは別に、自分で研究をさせてもらうことです。例えばMD-PhDコースなんか取らなくたって、学部生のうちから研究室に通わせてもらうことはできますよね (少なくとも清水研では受け入れしていますし、遠隔の大学の方でもオンラインで研究可能です)。初期研修しながら研究もしたいなら、都市部の病院を選びその都市の大学に夜間・休日に通わせてもらうこともできるでしょう。もちろんどちらも本業の他に研究をするわけですのでかなり大変だとは思いますが、早いうちから研究に触れることができますし、まとまった時間を自己投資すれば学会発表・論文発表といった実績をつくることだって可能です。そのように研究活動を行ってから、大学院博士課程でフルタイムの本格的な修行を積めば、清水がそうであったように4年間で他学部出身者と互角の戦いができるようになります。

Q6. 基礎系の研究者の待遇が医師より悪いと聞きましたが本当ですか?

これはなんと答えればいいのか迷うのですが、給料の額面のことだけであれば本当です。しかしながら自分の好きなことを研究し、自分で勤務場所や時間を選べ、それでいてお給料をいただけるわけですので、そういう意味では医師よりずっと待遇がいいと言えるでしょう。世の中のサラリーマンの多くは自分が本当にやりたいこととは違うことを仕事にしており、また会社から人事異動の命令が出たらそれに従わないといけませんし、そんな簡単に今の会社をやめて次の会社に移るということはできませんよね。臨床の医局に所属する医師もサラリーマンと似ているところがあります。

臨床に進む場合、給料の額面は研究者よりも高くなります。例えば田舎であれば3年目の医師で年収1000万円の大台に到達することもあるでしょう。ただこれは「大学以外の」病院の場合です。一方で2年間研修をやってから基礎系にすすんだ3年目 (基礎系の大学院1年) の場合、学生なので給料は0で夜間や土日などに外勤 (語弊があるかもしれないが、学生の言葉でいうと「医師のアルバイト」に近い) に出て年収200~300万といったところでしょうか?年収1000万円とは大きな差があります。

病気の研究をしたいということで大学の正職員として勤務するのであれば、実は臨床系でも基礎系でも給料は変わりません。助教クラスで600程度、准教授クラスで800程度、教授クラスで1000程度が大学から支給されるお給料の目安です (これ以外に人によって外勤・特許収入・著書収入・講演収入、賞をいただいた場合の賞金などがあります)。給料自体は、大学に勤めるよりもそれ以外の病院に勤めた方が高くて、一般的な病院勤務医の場合は1500程度、病院長などの役職者は2000万程度あると思います。さらに、自分で開業して (経営上手で繁盛すれば) 3000万程度になるでしょう (開業にかかる膨大な借金を返済していく必要もあるので最初の十数年はそれほど利益が出ないとも聞きますが)。研究者には病院に勤めるという選択肢がないので、一般的には研究者の給料は病院で診療をする医師よりも低くなるでしょう (それでも生活に困るわけではありませんが)。

大学に残って病気の研究をする場合、臨床系においては一度所属した医局を切って他の大学に行くことなどまずできません。サラリーマンの転職とはそこが違います。また、臨床系においては年功序列的な体制になっています。そして助教になるまでは比較的スムーズですが、その上の職位に上がるためには研究能力以外にタイミングと政治力が求められます。例えば臨床の助教は10名程度いますが、その上の講師は3名程度、その上の准教授は2名程度、一番上の教授は1名というのが一般的な定員です。助教になった後に次の講師ポストに就くためには、タイミング良く空席ができなくてはいくら優秀でも上がることはできません。例えば教授ポストは1枠ですが、一度教授が決まったら、その先生が定年などで退官するまで次の十数年はその医局では教授選がないということです。そういった各ステージでの椅子取りゲームに負けてしまうと、大学に残りたくてもポストがないので残ることはできず、命じられた関連病院で研究ではなく診療に従事することになります。他大学の医局に移動して研究を継続するというのはまず不可能です。

基礎系の場合は真逆でして、そもそも若手科学者はさまざまな研究機関を比較的短い期間で自分の意志で点々とするものというカルチャーがあります。そのため上司から次の勤務先を命じられることはありませんし、逆に言えば自分で次を見つけられなかったら任期が切れたら無職になってしまいます。研究業績をあげ、それをもとに全国 (ときに海外) の求人をチェックし、自分が出したい求人があったらその選考を受ける、ということを繰り返していきます。自分のラボの教授が定年退官する前でも、他大学の教授選に出ればいいだけですので、タイミング問題はそれほど大きな問題にはなりません 。臨床とは違って年功序列の要素は全く無いので、とても優秀な(=抜群の研究実績がある) 20代が医学部の教授になった事例もいくつかあります。逆に言えば、実績がないのに年の功で出世するというカルチャーではないので、准教授や助教が教授より10才以上も年上ということも普通にありうる世界でもあります。

働き方についてですが、まず基礎系の場合には基本的に何時に来て何時に帰るのか、有給をいつとるのか、といったことは研究者の裁量に任されています。基本的には土日祝は休みですので、仕事が順調なら休んでもいいですし、なにかやらないといけないことがあるならもちろん取り組んでいても誰も文句いいません。一方で臨床はどうかというと、勤務時間はその病院が決めており、それ以外に分担で当直の当番 (次の朝まで徹夜で救急車の担当をするなど)などがあります。さらに勤務終了後も毎日呼び出し用の電話を家に持ち帰る必要があり、例えば自分の受け持ち入院患者になにかあった場合などに休日夜間関係なく電話が鳴って対応をする必要があります。基礎系はオンオフの境界がはっきりしていますが、臨床系は仕事とプライベートを切り離すことはできないでしょう。

このように、働き方は基礎と臨床でいろいろ異なります。質問いただく「待遇」というのが多様な価値観があって答えにくいのですが、基礎系は額面では臨床系より見劣りしますが自分のやりたいことをやってお給料をいただけるとても恵まれたお仕事かと思います。